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2015/2/26
土木工事業の多くは公共工事に依存しています。公共工事の発注量に応じて完成工事高が左右され、発注量が減ると過当競争へと突入し、利益率が下がり経営体力を消耗する。そのような時代が長く続いた企業も多いと思われます。では、その負のスパイラルから抜けだした企業は、何に取り組みどのように変わっていったのか。経営改善事例として岡山市の企業の取り組みを本号では紹介します。
株式会社O建設(社長42才)は岡山市に位置し、資本金2,500万円、完成工事高約2.5億円、官民比率50:50の地方建設企業です。昭和30年に創業し60年の歴史を持つ老舗企業です。
市町村合併で岡山市となりましたが、O建設の事業エリアは旧建部町で、面積約89km2(岡山市全体の11%)、人口約6,000人(岡山市全体の約0.9%)、世帯数は約2,360戸(岡山市全体の0.8%)であり、面積は広いけれど住んでいる人は非常に少ない典型的な過疎・高齢化地域です。エリア内の建設企業の状況としては、土木会社が6社(以前は9社)、建築会社3社ですが、ほとんどの企業は公共工事をメインとしています。O建設では、5年ほど前から公共工事から個人顧客向けの仕事にシフトする取り組みを始め、今では雨どいの掃除から木の伐採、草刈り、解体など地元の住民が困っている様々な仕事を頼まれる会社になっています。
この取組を始める前の平成13年から平成21年までは、実際には9期連続赤字という状況で、当時は
ピーク時(平成12年)に4.4億円だった完成工事高は、平成20年には1.1億円まで減少し、はじめは不要な資産などを手放したりして何とかごまかせていた資金繰りも、平成21年になると仕事はあってもキャッシュがまわらないという実情でした。「3月25日が銀行の返済日、その前日の3月24日には何とか取引先と社員に払うお金はあったので、3月24日に倒産しようと一旦は決意した」と当時後継者として勉強中だったO社長は思ったそうです。
ひとつめは、社員の未来だといいます。当時50歳を超えていた社員たちの再就職の受入先は地元にはなく、今後の社員の生活を考えると眠れない日々が続いたそうです。ふたつめとして、社員数は当時10名でしたが、他の企業はもっと小さい4~5人の規模であり、災害が起こった場合はO建設でほとんどの地域をカバーしなくてはなりませんでした。もし経営を諦めてしまうと、地域への影響が非常に大きいことに気づいたのです。社員の生活、地元への影響、加えて自身の生活を考えると何が何でも再建するしか道はなかったのです。どうせ潰れるのだったら、もう一度思いっきりやってみれば良いのではないか、やってダメならしかたがないと決意したのが平成21年の3月でした。
3月25日の銀行の返済は、必死に乗り越えました。工事代金を可能な限り回収し、取引先にも経営方針を示し支払いを猶予してもらいました。高額な嗜好品も売却しました。何とか返済でき、そこからは、ゼロからやり直すつもりで腹を決めて再建に取組みました。
まずは自社の強みと弱みを徹底的に分析しました。一人よがりではなく、社員みんなでとことん考えました。O建設の強みは当時で創業54年の歴史であり、地域の方々と非常に密着した建設企業であり、その中で培ってきた「信頼」でした。次に、経営サイドでは整理すべきだと考えていた保有台数の多い重機や車輌も、有事の際にすぐに対応できる大きな強みであると、社員からの声で気づきました。そして何よりも一番の強みは、社員みんながいつも笑顔で和気あいあいと闊達に仕事をし、それが社風となり、まさに個々の人材が会社の強みでした。この強みを伸ばすきっかけとして、顧客にまずは一人ひとりの名前を覚えていただこうと考え、「笑顔」のイラストを会社イメージとして作成・PRし、社員の結束も深めました。
この段階で、現在キャッチコピーとして使っている“お家周りの町医者さん”が見えてきたのです。
経営改善に向けては、「受注確保」と「コスト削減」の2点に絞って、戦略を同時に立てていきました。
公共工事に依存せず、民間比率をあげることを目標と定めました。地域住民の『建設会社は役所の仕事しかしてくれない』というイメージを払拭し、住民の身の周りの仕事も受けてもらえるということを知ってもらうために、「笑顔通信」という折込チラシを毎月地域の個人宅や企業に入れるようにしました。また、会社を知ってもらうために敷地を使って年1回のイベント(「お仕事発表会」)をはじめました。これまでO建設の社名の入った車輌が町中を走り回っているのに、会社の正確な名前も所在地も知らなかったという人が多いことに気づきました。最初は会社を知ってもらうために始めたイベントでしたが、今では地域の繋がりをつくり、地元の方々が交流する大切な場所にもなっています。このイベントの告知も、最初はチラシを社員が1軒ずつ配っていきました。それまでは喋るのが苦手だと思っていた社員も、インターホンを押し、回ってくれていました。このことで、経営者はこれまで勝手に苦手だ、できないと判断していたのだと気づきました。改めて社員の能力の高さを痛感した出来事となりました。
地元の方々との交流が深くなるにつれ、生活に係る様々な困り事が相談されるようになりました。高齢者から手すりをつけてほしい、車いすで上がれるようにスロープにしてほしい、草刈りを代わりにしてほしい、田んぼをもう少し広げてほしいなど、多くの仕事が寄せられるようになりました。また過疎化・少子化によって管理が大変になっている空き家の解体など、その他にも、専門業者がフォローしきれていない中山間地域である特性から、様々なニーズが届くようになりました。これまでの考え方を変え、「建設サービス業」として、ワンストップで地元のニーズに応えることのできる企業となることで民間からの受注の確保を図れるようになりました。
*「建設サービス業」としてのワーキングフィールド
取り組みを始めた平成21年には公共工事25件、民間工事53件、完成工事高合計約1.3億でしたが、5年目の平成25年には公共工事67件、民間工事78件、完成工事高合計約2.5億と売上高を維持できるようになり、今では民間売上がほぼ半分を占めています。また、民間工事件数とは別に、「建設サービス業」で受注している少額事業も、ここ数年は年間100件を超える受注となっています。地元に根ざした建設企業として多くの方に知っていただけるようになりました。
コストを削減するために、「工事現場ごとの損益状況をできるだけ早い時期に掴むこと」をまず徹底しました。現場監督がいる場合は監督が、一人で重機作業を行う場合にはオペレータが工事日報に現場コストを記入し、徹底した日次管理を行いました。分析を行うにも、現状把握が一番だと考えたからです。公共工事の労務単価は15年前に比べると1割以上下落していました。しかし、コストの管理というものを、昔は何もやっていなかったので、原価の改善に伴う効果はすぐに出ました。
資材調達については、工程上の決めたタイミングできちんと納品してもらうことを徹底しました。最終的に、工期を短縮させ、早く竣工させることが会社全体として一番利益創出に繋がると捉えたからです。
こうした工夫により経営は黒字に転換し、キャッシュフローも大幅に改善されました。
民間工事では、まず現場を確認し、見積書を提出する前に実行予算を作成するようにしました。実際の予定コストを積み上げた上で受注するため、受注した時点で黒字案件となり、また工期(工程)内の人員・機械の配置も段取り良く進むようになりました。日々の日報では、予定外のコストが発生していないか日々損益を確認し、現場改善へつなげるように徹底しました。工事完成時点では、受注後に変更になった作業やそれにかかった費用がわかっているのでお客様に早く請求書が出せ、現金回収が早くなります。
公共工事の場合もどれだけの変更で請負金額を増額しないといけないのかがリアルタイムにわかるので、発注者との協議もスムーズに進み、設計変更等に伴う予算増額も認めてもらいやすくなりました。経理の伝票仕訳は原価管理ソフトを使用し、日々の日報をシステムに入力することで自動作成される帳票によって支払金額を知ることができ、資金繰り計画の改善に役立てました。毎月の会社全体の数字のチェックをいち早く行なうことができ、金融機関への報告も迅速になったことから信頼関係を取り戻すことができました。
建設業(特に土木工事業)は守られてきた業界であるために何もしてこなかったように思います。だから、「今は何でもできるので建設業の経営は楽しい」とO社長は話されます。固い決意と全社一丸となって経営再建を遂げられた熱い思いを、たくさんの経営者が聞きに来るそうです。
次号では、コスト集計をリアルタイムに行なうことで見える現場管理の視点について紹介します。
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