「現場の失敗と対策」編集委員が現場や研究の中で感じた思いや、
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2021/09/29
本コラムでは、明治期に建設された本河内低部ダムの再開発事業に伴って発見された「三化土(たたき)」と称されている材料や堤体の施工方法である「粗石コンクリート」などについて、現地での見聞および文献等を参考にして紹介します。
長崎市の本河内低部ダムは、明治36年に竣工した。神戸市の布引ダム(明治33年竣工)に次いでわが国で二番目に古い重力式コンクリートダムである。堤高27.8m、堤長118.8m、堤体積22,000m3である。再開発事業は、水道専用として利用されているダムを、洪水調節機能を付加した多目的ダムに改修することを目的としている。再開発工事の着工は平成20年3月1日、竣工は平成23年3月31日である。このダムは上述のように、歴史的な土木構造物であることから、堤体を保存する観点から、わが国としては初めてとなるダム堤体の直下に「竪坑型トンネル式洪水吐き」を設ける方式を採用している。すなわち、図-1のように、ダムの上流側に吞口竪坑を、下流側に減勢竪坑を建設し、その間をダム底から約20m下の位置に仕上がり内径4.5mのトンネルで連結して洪水吐きとするものである。また、ダム堤体の耐震性を向上するため、ダム上流面に約10,000m3のコンクリートの増厚(腹付け)を行う上流増厚改造形式を採用している。
写真-1は、堤体の一部に使用されている地元で「三化土(たたき)」と称されているものの塊である。この三化土は、写真-2に示すカスケード(水階段)洪水吐きの内部やダム下から続く階段の蹴上がり部など、それほど強度が期待されていない様々な部分に使用されている。当時は、セメントが高価なため、その代替品として用いたものである。
三化土は、石灰と玄武土(玄武岩風化土)と海水に含まれる苦汁(ニガリ)を混ぜたものを、突き固めたりたたいたりして作った。石灰は、現地で貝殻を焼いて作った。耳慣れない「三化土」という用語は、長崎地方で呼ばれている。関東地方において、花崗岩風化土を用いた「三和土(たたき)」と称されているものと同じである。写真にある三化土の内部の状況を観察すると、玄武土が均等に分散し、かつ密実である状況が覗え、当時の施工品質が高いことが想像できる。
三化土あるいは三和土は、古来より日本家屋の土間や基礎部分に用いられているものであり、砂、石灰、苦汁の3種類を中心に混ぜるため、三和(化)土と呼ばれているが、基本的な材料は砂、石灰、苦汁に土と水の5種類である。これらを任意の配合で混ぜて、木などでたたき上げることで、床の材料などに使用されてきた2)。これは、明治時代にセメントという新材料が出現するまでは、土や砂を用いた材料を強化する伝統的な方法であった。そして、この三和(化)土は、現在でも玄関、庭あるいは駐車場などに広く使用されている。
最近では、あるテレビ番組で「和製コンクリート」と紹介されて、チョットした話題になったのでご存知の方も多いと思う。また、開発途上国における機能性集水技術(穴を掘って土手で降雨を止めて集水するとともに、土壌流出を防止するため材料として利用する技術)として展開しようとする試みも話題となっている3)。
(1)ダム内部は「粗石コンクリート」
ダム堤体コンクリートの大部分は粗石コンクリートによって施工されている。詳細な資料は存在しないが、おそらく布引ダムでの施工方法4)を踏襲して図-2のような方法で行われたものと考えられている。上流面約1.3mの外部コンクリートは「甲号コンクリート」、その部分以外の内部コンクリートは「丙号コンクリート」と称される粗石コンクリートで施工が行われている。コンクリートの配合の詳細は不明であるが、おそらく布引ダムとほぼ同じ4)であったものと推察される。布引ダムでは、テストハンマー試験による圧縮強度の推定値は28N/mm2以上あったとしている4)。なお、本河内低部ダムから採取した外部コンクリートのコアの状況を写真-3に示した。
-外部コンクリートの打込み-
① 外面の割石(石張り)を積んだ後、1:2配合のモルタルを打継面に敷き均す。
② 水量の少ないコンクリートを厚さ約18cmで打ち込んで突き固める。
③ 1日の施工高は約36cm(2層×約18cm) 。
-内部コンクリートの打込み-
① 厚さ約15cmのコンクリートを打ち込んで突き固める。
② 湿潤状態の粗石(直径35~38cm)を9~12cmの間隔を開けて並べる。
③ 粗石の間にコンクリートを填充して突き固める。
④ 4層全体の一体化を図るため粗石を3層目の打継目の上面から6~9cm突出させて次のコンクリートを打ち込む。
⑤ 1日の施工高さは約60cm(4層×約15cm) 。
(2) ダム堤体下流面はプレキャストコンクリート
ダム堤体の上流面は写真-4に示すように「天然石張り」となっている。これは前述したように外部コンクリートを打ち込むための型枠代わりに割石が用いられたものである。一方、下流面は写真-5に示すとおりであり、再開発工事現場の所長によると「プレキャストコンクリート製」とのことで、大変驚いた。しかし、その詳細は残念ながら不明とのことである。
この再開発事業現場への出張は、「三化土」を視察・調査するのが本来の目的ではありませんでした。しかし、三化土は、セメントが高価であったためその代替え材料として使用されたとのことであり、古来よりの材料の創意工夫、丁寧な施工等が垣間見えました。また、コンクリート製の埋設型枠が当時より使われていたとのことで、貴重な土木遺産から学ぶことの多さに改めて感銘を受けました。
文献5)に、綺麗な写真とともに紹介されていますので、興味のある方は合わせて読むと参考になると思います。
たたき上げとは、師匠に弟子入りして、下積みで苦労して仕事を覚えた後に実力をつけた人のことを言い、もともとは職人の世界での言葉であったそうです。現在では、世襲、エリートあるいはキャリアなど、スタートラインから恵まれた環境にあった人との対義語として「下積みから努力して一人前になった人に対して用いる」ことが多くなっています。
この「たたき上げ」の語源は、「土間を造るときのたたき(三和土)」と言われています。つまり、たたき方が中途半端だと良い土間にならず、一生懸命たたいて苦労を重ねて腕を磨かないと良い土間を造れない。つまり、下積みの苦労を経て一人前になることを「たたき上げ」というようになったのが語源と言われています。
(編集委員W)
【文責:「現場の失敗と対策」編集委員会】
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