土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成26年度(2014年度) |
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所在地 | 島根県出雲市 |
竣工 | 元禄13 年(1700年) |
選奨理由 | 来原岩樋は「わが国に現存する最古級の運河閘門で、天井川の斐伊川と高瀬川を結ぶため、国内では珍しい連続閘門」となっています。 |
一の谷公園の中を横切って東側駐車場まで進み、そこから南に道なりに400mほど下ったところで右に曲がると、出雲ロマン街道に突き当たります。そこを左に曲がり、東の方向に300mほど下っていくと、「出雲弥生の森博物館」に到着します。出雲弥生の森博物館は、隣接する国指定史跡「西谷墳墓群」(にしだにふんぼぐん)をはじめとした市内の各遺跡を紹介する「ガイダンス施設」と、市内の埋蔵文化財発掘調査の拠点施設である「埋蔵文化財センター」との2つの機能を併せ持った施設として、平成22年(2010年)4月29日に開館した施設です(令和6年(2024年)4月20日に来館者数50万人を達成したとのことです)。博物館には、発掘されたガラスの勾玉や腕輪,鮮やかな朱の副葬品などが展示されているほか、出雲の王の葬儀の様子を大胆に復元した巨大ジオラマが設置されており、見応え十分です(観覧は無料ですが、特別展・企画展の観覧は有料になります)。
出雲弥生の森博物館に隣接するのが「西谷墳墓群」です。ここには弥生時代後期から古墳時代、さらには奈良時代にかけてたくさんの墓が造られており、墳丘を持つ墓だけでも27基が密集しています。特に、弥生時代後期から終末期に造られた1,2,3,4,6,9号墓の6つの墓は、四隅突出型墳丘墓(通称「よすみ」と言います)という、方形の墳丘の四隅が外側に突き出した独特の形になっており、出雲の権力者たちの墓として有名です。
1号墓~6号墓は散策しながら見て回ることができ、特に3号墓は、突出部を含めた大きさが約55m×40m、高さ4.5mと大きく、全部で8つの墓穴が発見され、中央付近に掘られた長さ6mの大きな穴2つが王とその妃の墓穴だと見られています。墳丘頂部には説明看板が置かれているほか、棺や墓穴の位置が明示されています。また、すぐ近くの2号墓を見下ろして、その全景を見ることもできます。なお2号墓は全形を復元したものですが、墳丘が削り取られた部分に展示室を設けて、残丘とともに全体を盛土で覆って、墳丘の保護と復元を行ったため、本来の高さより1.5mほど全体的に高くなっているとのことです。内部の展示室には、埋葬時の様を見学できる装置と展示パネルが設けられており、自由に見学ができます。ボタンを押すと、ガラスの奥の暗闇から、安置されたご遺体の映像が白く浮き出てくる仕掛けも用意されていますので、少し暗いですが、ぜひ中に入って見てください。
西谷墳墓群から出雲ロマン街道に戻り、東方向に100mほど下ったところを右に入ってそのまま下っていくと、真正面に斐伊川の大きな堤防がみえ、さらにその手前に高瀬川があります。高瀬川手前の道を右に曲がり、まっすぐ500mほど進むと岩樋公園に着きます。この岩樋公園は、来原岩樋の堤内側(市街地側)に設けられた公園で、南に流れる高瀬川及び東に分派する間府川(まふがわ)の出発点となっています。
来原岩樋は、元禄13年(1700年)に開削幅2.6m、高さ4.2m、長さ9.1mで完工しましたが、斐伊川との水位差が大きくなったため、その12年後に、高瀬船を通過させることができるよう、3段のゲートを上下に操作する「閘門式構造」に再開削したとされています。
このように来原岩樋は、斐伊川の水を農業用水として利用するためと、高瀬船によって物資を輸送するために、岩山を掘りぬいて造られたものです。来原岩樋に沿って岩樋公園の水車の脇から斐伊川堤防を歩いて登っていくことはできますが、岩樋を眼下に見下ろせるポイントが無く、昭和54年(1779年)の改修時に設置された電動式水門(2ゲート)の傍から、わずかに見ることができただけでした。(冒頭写真。残念ながら、土木学会HP掲載の来原岩樋の写真のような姿を見ることはできませんでした。)
今回は、島根県出雲市にある来原岩樋を訪れましたが、岩樋から通水された高瀬川は、出雲市街地に流れ、JR出雲市駅から北約300mの位置で、JR山陰本線と並行に東から西に流れています。その区間では、周囲の町並みと一体となった整備が行われており、平成2年(1990年)に建設省(当時)の「手づくり故郷賞」を受賞しています。なお、1600年代に高瀬川の開削など、高い土木技術を用いて出雲平野の開拓・防風林整備等に尽力した、大梶七兵衛翁の像も設置されています。
また、来原岩樋は斐伊川が山間部から平野部に流れ出る地点に設置されています。ちょうど平野部(扇状地)の要(かなめ)に位置するところであり、取水した水を最も効率的に配水できる地点に設置されています(昔からある農業用の取水堰は、だいたいこのような位置にあります)。なお、来原岩樋は斐伊川の左岸(西側)への取水ですが、同じように右岸(東側)への取水のために「出西岩樋」(しゅっさいいわひ)が設置されていました。出西岩樋は、同じような3段の閘門式の岩樋として、貞享2年(1685年)に開削し、物資輸送のための舟を通していたと言われています。閘門式運河として有名な埼玉県の「見沼通船堀」が享保16年(1731年)の開通ですから、それよりも古くから活躍していたことになります。なお、昭和41年(1966年)の改修により現在は閘門式ではなくなったものの、今でも農業用水の取水口として役割を果たしているとのことです。なお、出西岩樋は来原岩樋から700mほど上流の位置にありますが、そこを訪れるためには、斐伊川を渡るためにいったん下流500mほどのところにある橋まで行く必要があるため、思いのほか長い距離を進む必要があります。
また、来原岩樋のすぐ上流に斐伊川放水路の分流堰があります。斐伊川放水路は、斐伊川の洪水の一部を神戸川(かんべがわ)に分流させる施設で、新たに開削した放水路区間(4.1km)と、神戸川下流区間(放水路合流点から約9.0km)の川幅拡幅(平均約1.5倍の拡幅)・堤防補強を主内容とする、斐伊川放水路事業により整備されたものです。分流堰は堰長約200mで、斐伊川側に起伏ゲート5門が設置され、両端の2門には制水ゲートが設置されています。また、ゲートの下流側には沈砂池が設置されています。
放水路の区間はほぼ掘り込み形状でしたが、堤防だけではなく、河床もコンクリートが張ってあります。現地に伺った時には、延長約4.1kmの区間全てにおいて河床にはほとんど砂がなく、砂河川からの放水路とはとても思えない風景でした。斐伊川放水路事業は、「ヤマタノオロチ神話」になぞらえて「平成のオロチ退治」として進められたとのことですが、放水路事業に伴い、改築、新設される橋梁についても、周辺の特性に配慮した橋梁景観の形成を図っています。合流点下流に位置する「古志大橋」(こしおおはし)は、ランドマークとしてアーチを鮮やかな赤色に染めているほか、合流点上流の「半分大橋」(はんぶおおはし)には、「平成のオロチ退治」をイメージしたデザインが施されています。
なお、放水路が神戸川に合流する地点には、河川防災ステーションが設置されていますが、その地内に「斐伊川放水路事業記念館」が置かれ、放水路事業の計画から完成までの経過はもとより、流域の歴史や文化等も含めて、放水路事業ゾーン、生活文化ゾーン、歴史文化ゾーンにより、丁寧にわかりやすく説明されています。なお、放水路の開削区間は数多くの遺跡がある地域であり、放水路事業に関連して約50もの遺跡の発掘調査が行われたとのことです。
調査で発掘された横穴墓の石棺なども記念館に展示されていますので、来原岩樋からは約4kmと遠いですが、時間がある方はぜひお寄りください(JR出雲市駅からの路線バスがあります)。また、分流堰を訪れた写真を提示すれば、斐伊川放水路分流堰の堰カードをいただくことができます。(斐伊川放水路事業記念館は無料で見学できますが、定休日が水・木なのでご注意ください)
また、今回は訪れ損ねましたが、放水路の合流点から約1.5km下流には灌漑用水を取水していた旧神戸堰をイメージした連続アーチ形状の落差工が設けられています。旧神戸堰は昭和3年(1928年)に供用された、日本で唯一の6連アーチ形状の溢流式堰堤で、貴重な土木遺産として土木学会にも認められていましたが、斐伊川放水路事業による川幅の拡幅に伴い撤去され、可動堰(新神戸堰)として生まれ変っています。この落差工は新堰の下流に設けられたたもので、穏やかに流れる神戸川に佇む連続アーチの美しさは素晴らしいものだそうです。落差工の下流約700mの堤防沿いにある旧神戸堰公園には、旧神戸堰のアーチ(1連)が展示されていますので、それとあわせてぜひ見に行きたいものです。
Point-3において墳墓群を紹介しましたが、出雲平野には6大古墳と言われる古墳があります。そのうち、今回の行程の近くにある古墳は、「上塩冶築山(かみえんやつきやま)古墳」、「上塩冶地蔵山(かみえんやじぞうやま)古墳」です。JR出雲市駅から斐伊川放水路事業記念館に行く道の近辺にありますので、もしそのルートを通る場合には立ち寄ってみてはいかがでしょうか。どちらの古墳も出入りは自由ですが、いずれも入口がわかりづらいほか、中は真っ暗闇ですので、入口に「出雲弥生の森美術館」の懐中電灯は置かれていますが、明るい懐中電灯を別途ご用意していただくのが無難です。また、JR出雲市駅から山陰本線沿いに東に500mほど行った大念寺にある「今市大念寺古墳」には、日本一大きいと言われる石棺があるそうです。年中見学可能ということですが、通常は施錠されており、見学するためには石室開錠の依頼を出雲市役所文化財課に事前に連絡する必要があるとのことですので、ご注意ください。(伺った時は、事前連絡をしていなかったので見学できませんでした。)
今回の行程は、Point-1の一の谷公園までの距離が遠かったこともあり、非常に長く感じられました。脚力に自信がない方は、一畑電車北松江線の「出雲科学館パークタウン前」駅をStartとすると、もう少し行程を短くすることができます。また来原岩樋だけではなく、斐伊川放水路や斐伊川放水路事業記念館、あるいは、出雲市内の数ある古墳などもあわせて見て回る場合には、JR出雲市駅前で電動自転車をレンタルすることも有効です。
また、今回はJR出雲市駅から南東方向に進む行程でしたが、その逆の北西方向には、有名な「出雲大社」や「日御碕」があります。また、令和7年(2025年)12月20日までは保存修理(仮設・解体)工事が行われていて見学できませんが、重要文化財である「旧大社駅」もあります。大社駅は、明治45年(1912年)に、出雲市今市町から大社町を結ぶ国鉄大社線が開通すると同時に開業しましたが、平成2年(1990年)4月1日の大社線廃止に伴い廃駅となっていますので、現在は鉄道駅としての営業は行われていません。ただ、駅舎はしっかりと保存されており、豪壮な外観とその存在感は健在ということです。旧大社駅のような木造建築の駅舎は全国でも珍しく、黒い屋根瓦に漆喰の白壁という純和風のデザインは、鉄道ファンや建築関係の方のみならず、一見の価値は十分にあり、ぜひ機会を見つけて訪れてみたい建物です。なお、重要文化財の駅舎は全国に3件だけであり、他の2件の東京駅丸の内駅舎、門司港駅舎はともに西洋建築ですので、旧大社駅駅舎は唯一の和風建築として貴重です。
地理院地図をもとに当財団にて作成
【今回歩いた距離:約 4 km JR出雲市駅 ~ 一の谷公園~ 出雲弥生の森博物館・西谷墳墓群 ~ 来原岩樋】
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