土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成23年度(2011年度) |
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所在地 | 広島県広島市 |
竣工 | 猿猴橋:大正15年(1926年) 京橋:昭和2年(1927年) |
認定年 | 平成19年度(2007年度) |
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所在地 | 広島県広島市 |
竣工 | 明治後期~大正期(推測) |
駅前に立って左手側、広島港行の電鉄の軌道に沿って歩き出します。数十メートルも歩くと、右手に橋が見えてきます。これが「猿猴橋」です。今までの「最寄駅から歩いて行ける土木遺産」シリーズでもっとも駅に近い遺産ではないでしょうか。広島市街地には、猿猴川、京橋川、元安川、本川(旧太田川)、天満川、太田川放水路と、6本の河川が流れており、それぞれたくさんの橋が架けられています。「猿猴橋」も猿猴川に架かる橋のひとつですが、花崗岩を多用した装飾的な橋梁で、原爆にも耐え、広島の街の復興を見とどけてきた貴重な遺産として、土木学会選奨土木遺産に認定されました。ちなみに「猿猴」とは、広島地方で語られているサルに似た河童のような想像上の怪物のことだそうです。猿猴橋はもともと16世紀末の毛利時代に架けられた木橋で、永く陸上交通の要として利用されてきました。現在の猿猴橋は、大正15年(1926年)に鉄筋コンクリートの橋として架けられたものです。親柱の上に設置された鷲の像など、豪華な装飾で、当時『広島一美しい橋』と呼ばれましたが、その後、戦争中の金属類回収令によって装飾品は回収されてしまいました。現在の装飾は、平成28年(2016年)に復元されたものです。欄干の「二匹の猿猴が桃を抱えている」透かし彫なども忠実に再現されています。猿猴橋は原爆投下時、欄干の一部が損壊したものの、構造的な被害はほとんどなく、被災者の避難や救済活動に使われたそうです。橋を渡る手前には、復元前の猿猴橋の写真や、橋の構造を説明した説明板が設置されています。土木学会選奨土木遺産の認定銘板は橋を渡った左手に設置されています。
公園散策後は「比治山下」の電停を越え、鶴見橋を渡ります。ここから、平和大通りを「平和記念公園」へ向かってひたすら西進。平和大通りの両側には、さまざまな樹木が植えられています。ここは「被爆者の森」と呼ばれ、被爆45周年にあたり、全国47都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者を作らない」との願いを各地の県木に託して作られた森です。樹々一本ずつに都道府県名が記されています。鶴見橋から歩くと約20分。平和大橋を渡れば、次の目的地「平和記念公園」に到着です。余談ですが、訪問時、平和大橋の橋脚補修工事が行われていました。船上にいる作業員と水中で作業する潜水工の方の会話や呼吸の音を間近で聞くことができ、感動しました。
平和記念公園は、昭和24年(1949年)に制定された特別立法「広島平和記念都市建設法」を受け、広島市が主催した「広島市平和記念公園及び記念館競技設計」で設計案を公募。丹下健三を中心とした設計チームの案が1等に選ばれました。敷地内には、「広島平和記念資料館」や「広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)」、「原爆の子像」、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」など、原爆の恐ろしさを伝え、平和を願う記念碑・記念館が数多くあります。特に、公園の入口側にある「広島平和記念資料館」は、外国人の観光客が目立ちました。館内は、原爆投下時の広島の悲惨な情景や被爆された方々の様子を写した写真等が展示され、決して忘れてはいけない歴史を再認識させられます。
原爆ドームからは電停の軌道に沿って広島駅方面へ。約200mで路面電車が交差して走る大きな「紙屋町交差点」に当たります。この交差点は横断歩道が無いので、一旦地下街に降りて進まなければなりません。地下街を県庁・広島城方面の案内に従って進みます。地上に出たら広島城は目の前です(ここからは復元された二の丸が見えます)。広島城が築城された正確な年月は不明とされていますが、毛利輝元が築城し、1591年(天正19年)ごろに入城したと言われています。天守閣をはじめとする旧来の建物は原爆ですべて焼失し、 現在の天守閣は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造で復元されたものです。広島城の別名は「鯉城(りじょう)」。別名の由来は諸説ありますが、堀にたくさんの鯉が泳いでいたからという説もあります。ちなみにプロ野球球団「広島カープ」はこの「鯉(CARP)」にちなんで付けられたそうです。
広島城を後にして、城南通りを東に進みます。500m程歩くと、京橋川に架かる「上柳橋」に着きます。上柳橋をはさんで上流の「栄橋」、下流の「京橋」の間には、たくさんの雁木(がんぎ)を見ることができます。これらの雁木群は、『水の都“広島”を象徴するわが国最大の雁木群で、歴史的な水辺空間を演出している』として、平成19年(2007年)に土木学会選奨土木遺産に認定されました。『雁木』とは、主に船着き場として利用される、海や川などの水辺に降りていく階段のこと。広島市街地を流れる6本の河川には、新旧合わせて300~400の雁木が設置されているそうです。中でも京橋川のこの辺りは、さまざまなカタチの雁木が並び、右岸左岸ともゆっくりと散策しても飽きることはありません。
今回の探訪ではこれまでの最長距離を歩きました。時間にして4時間30分(広島平和記念資料館観覧30分含む)。時間的に制約のある場合は、路面電車で移動する方が楽ですが、水上を移動する「雁木タクシー」や「広島水上タクシー」を利用する手もあります。猿猴橋の傍にも水上タクシーの乗り場がありました。しかし、季節や曜日によって運行状況が変わりますので、利用を考えている方は、事前に確認が必要です。また、広島平和記念資料館も、私は30分程度の駆け足での観覧でしたが、展示物や映像をしっかりと見るには1~2時間は必要だと思います。土木遺産をめぐりながら、広島の見どころを一日かけて回る。そんな旅行の参考になれば幸いです。
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