土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成12年度(2000年度) |
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所在地 | 神奈川県横須賀市 |
竣工 | 明治17年(1884年) |
今回の歩いて学ぶ土木遺産は、JR横須賀線横須賀駅から土木遺産「猿島要塞」へ向かう行程です。「猿島」へ渡るフェリー乗り場である「三笠ターミナル」へは、京浜急行線横須賀中央駅が最寄りですが、途中の散策スポットと、何より駅舎が切妻屋根を施した貴重な木建造物であることから、横須賀駅をスタート地点にしました。初代横須賀駅舎は明治26年に建てられ、大正3年に改修されました。現在の駅舎は、この大正3年時の改修の面影を残し、昭和15年に新築されたものです。余談ですが、JR横須賀駅はホームから改札まで段差のないバリアフリー仕様となっています。その理由は、軍事施設への物資の運搬の為、皇族列車の乗降の為といった説があります。
※切妻屋根:日本の屋根の半数近くを占める屋根で、シンプルな構造のため施工がしやすく、雨漏りにも強いのが特長。
駅前から港を眺めると、整備された公園が海沿いに広がっています。「ヴェルニー公園」です。フランスの庭園様式を採り入れたこの公園は、バラの名所としても有名で、毎年多くの人々が訪れています。公園の入口には、「ヴェルニー記念館(入館無料)」があります。公園の名前にもなっている『ヴェルニー』は、江戸時代末期に日本に招かれた外国人技術者の一人でした。開国直後の幕府は、海軍力と工業力の強化を進める中、横須賀に製鉄所を建設することを決め、フランス海軍の技術者であったヴェルニーが招聘され、製鉄所の所長に就任しました。記念館には、日本の造船技術の発展を支えた『スチームハンマー』が展示されています。『スチームハンマー』とは蒸気を動力とした鍛造作業を行う工作機械で、展示されている『スチームハンマー』は日本に現存する最古のもののひとつで、国指定重要文化財に指定されています。
「ドブ板通り」を抜けて、再び国道16号に出ます。正面には「三笠公園」の大きなアーチが架かっています。在日米海軍施設の入口を横目に右折すると、歩道が「三笠公園」に続いています。500mほどで「三笠公園」に到着です。「三笠公園」は、『水と光と音」をテーマに造られた公園で、『日本の都市公園100選』『日本の歴史公園100選』にも選ばれています。入口正面には、明治38年(1905年)、日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎司令長官の銅像があり、銅像の後方には、『世界三大記念艦』のひとつ『三笠』が保存展示されています。『三笠』には乗艦して見学することもでき (有料)、艦内には旧海軍の軍服や装備、日露戦争に関する資料が展示されています。明治以降、日本では多くの軍艦が建造されましたが、現存する軍艦は『三笠』だけとのことです。ちなみに『世界三大記念艦』とは、『三笠』『ヴィクトリー号(英国)』『コンスティテューション号(米国)』です。
フェリーを降りて桟橋を渡れば、今回の探訪のゴールとなる「猿島」に上陸。しかし、今回の『土木遺産を訪ねて』は、ここからが学びの始まりとも言えます。周囲約1.6kmの猿島は、「猿島要塞」として土木学会選奨土木遺産に認定されているだけでなく、島のあちらこちらに貴重な史跡が残されています。少し時間をかけてゆっくりと散策してみましょう。
まずは「猿島」の紹介から。横須賀沖1.7kmにあるこの島は、標高約40m、周囲約1.6km、東西約200m、南北約450m、面積約55,000 k㎡の無人島。東京湾に浮かぶ唯一の自然島で、「猿島」という名前の由来は、建長5年(1253年)、日蓮上人の乗る船が嵐に遭い、この島に漂着した際に、白猿が現れて嵐をさけるように洞窟へ案内したことによると言われています。この時の洞窟は、今も『日蓮洞窟』として残っています。
島に上陸したらまず、『ウェルカムセンター』を訪れてください。島内のみどころを約30分で案内してくれるガイドツアーもここで申し込めます。みなさんに見て欲しいのは、このセンターの2階です。ここに土木学会選奨土木遺産の認定銘板が展示されています。また、センターの裏手には、現存する最古級の火力発電所、『電気燈機関舎』があります。
センターの脇の坂道を上り、時計回りに島内を探索します。『猿島要塞』と呼ばれるだけあって、散策というよりも探索といった趣です。緑が茂った切通しの左右には、レンガ造りの兵舎や弾薬庫、トイレがあります。しかしこれらのレンガ造りの建物、よく見るとレンガの積み方が微妙に違っています。写真9)と写真10)はそれぞれ兵舎とトイレですが、積み方の違いがわかりますか?図1で比べてみてください。写真9)の兵舎は『フランス積み』、写真10)のトイレは『イギリス積み』によるものです。なぜ積み方が違うのでしょうか?それは、それぞれの施設が建てられた時代によるものだそうで、明治10年代までは『フランス積み』が採用され、明治20年代以降は『イギリス積み』が主流となったからです。猿島が要塞として竣工したのは明治17年(1884年)ですから、竣工時のレンガ建造物は『フランス積み』、それ以降に増築・改築されたものは『イギリス積み』、レンガの積み方で建造時期がわかるというわけです。ちなみに『フランス積み』のレンガ建造物はもともと数が少なく、「猿島要塞」を含めて全国に4件しか確認されていません。
レンガの建造物が並ぶ切通しを抜けると、正面にレンガ造りのアーチ式トンネル(隧道)が現れます。トンネルの幅は4m、高さは4.3m、長さは約90mです。このレンガも『フランス積み』です。トンネル内はほとんど照明がなく、薄暗いため、カップルで訪れると自然と手をつないでしまうことから、別名『愛のトンネル』とも呼ばれているそうです。隣でカップルを案内していたガイドさんの話ですが。。。
トンネルを抜ければ、探索の折り返しです。元弾薬庫の短いトンネルをくぐるとコンクリート製の砲座が見えてきます。展示されている銘板によれば、この「猿島」には江戸時代から「台場(砲台)」が建設されていたそうです。やがて明治時代中期になり、東京湾の守りを固めるため、陸軍が要塞を建設し、敵国の戦艦を迎え撃てるよう、フランス製のカノン砲など6門の大砲が整備されました。大正時代になると、大砲の進化と関東大震災の影響などで砲台の見直しがされ、猿島は陸軍の砲台から廃止されましたが、その後海軍が所管し、昭和11年に防空のため8cm単装高角砲4門が、昭和19年に第二次世界大戦の激化により12.7cm連装高角砲2門が配備されました。現在見ることができる砲座跡はこの時のものです。明治時代の砲座は全て埋没しています。この辺りから、『日蓮洞窟』に降りることができるのですが、令和元年の台風19号による被害で、現在は進入禁止となっていました。
今回の探訪は、初めて船(フェリー)に乗っての探訪となりました。「猿島」はわずか15分程度で行ける距離にあるにも関わらず、自然と遺産の両方を楽しむことができる島でした。夏には海水浴や釣り、BBQを楽しむ人で賑わうそうです。また、横須賀には、この「猿島」以外にも、「走水 (はしりみず) 低砲台跡」、「千代ケ崎(ちよがさき)砲台跡」があり、貴重な軍事遺産がたくさんあります。一日横須賀観光の時間が取れる方は、グルメや街歩きと併せて、ぜひこうした歴史的遺産にも訪れてみてください。
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