土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成22年度(2010年度) |
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所在地 | 茨城県水戸市 |
竣工 | 昭和10年(1935年) |
前回はJR水戸駅から土木遺産「水戸市低区配水塔」までを紹介しましたが、今回は前回に引き続き水戸の歴史を感じながら、「水戸市低区配水塔」をスタート地点として、水戸城三の丸跡地と二の丸跡地を結ぶ、土木遺産「大手橋」へと向かう行程を紹介します。
水戸市低区配水塔から、来た道を少し戻って三の丸城跡に入っていくと、茨城県三の丸庁舎があります。この庁舎は昭和5年(1930年)に建てられ、茨城県の本庁舎として使用されていましたが、平成11年(1999年)に新庁舎が市内笠原町に完成したことにより、現在は三の丸庁舎として使用されています。中央の塔屋の高さが15.3mもある、近世ゴシック様式でレンガ張りの威風堂々とした建物です。昭和29年(1954年)に4階が増築されましたが、新庁舎移転の際に4階部分の撤去、耐震補強、塔屋の復元をしています。建物の中の大理石の階段や、階段からみる照明灯、掛時計も歴史を感じさせてくれました。ただ屋上に上がることはできず、素晴らしい見晴らしを見ることができなかったのは、少し残念でした。
県三の丸庁舎の裏玄関から東に進むと、弘道館(後述)公園の敷地内です。この公園には、約60品種、800本の梅が植えられ、偕楽園とともに梅の名所となっています。また、昭和20年(1945年)8月2日の空襲で焼失した弘道館ゆかりの多くの施設も、復元されています。
『学生警鐘』
弘道館内の学生に時を告げていた打鐘です。柵で囲われているので近づいて確認することはできませんでしたが、鐘の表面には注連(しめ)縄等のデザインとともに、斉昭公自筆の和歌が浮彫されているとのことです。なお、現在吊るされている鐘は複製で、戦火を免れた実物は弘道館内展示室に展示されているそうです。
『八卦堂』
八卦堂は建学精神を刻む弘道館記碑を収めた建物で、八角面の軒下に万物変化の相を示す八卦の算木が配されています。収められている記碑は、高さ3.18m、幅1.91m、厚さ0.55mの大理石です。通常、扉が閉じたままで非公開になっていますが、訪れた当日、たまたま学生さんへの説明を行うために扉が開かれており、開扉された八卦堂と弘道館記碑を肉眼で見る幸運に恵まれました。なお、現在のお堂は昭和28年(1953年)に復元されたものです。
『弘道館鹿島神社』
弘道館鹿島神社は常陸一の宮である鹿島神宮から分霊された、武の神様、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀っています。本殿一式は、昭和49年(1974年)の第60回伊勢神宮式年遷宮の後に、伊勢神宮内宮の域内別宮の旧殿一式が譲渡・移築されて現在に至っており、建築史の観点からも高い価値を有しているとのことです。
次に、弘道館公園の東側に位置する弘道館に向かいます。旧水戸藩の藩校であった弘道館は、当時の藩校としては全国一であった約10.5haの敷地に馬場や調練場も有した、今でいう総合大学のような威容を示していました。現在は約3.4haの区域が「旧弘道館」として国の特別史跡として指定されており、さらに昭和39年(1964年)には創建時から現存する正門(南10m、北11.4mの塀も併せ)、正庁(学校御殿と呼ばれる中心的な建物)、至善堂(藩主の控室。正庁と畳廊下でつながっています)が重要文化財に指定されています。正門は、本瓦葺きの四脚門で、藩主の来館や特別の行事の時のみ開門するため、正門右側の通用門が弘道館の入口となります。なお、正門の柱には、正庁玄関の舞良戸(まいらど。舞良子(まいらこ)とよぶ桟(さん)を横に細かい間隔で入れた引き違い戸)と同様に、明治元年(1868年)の「弘道館の戦い」で生じた弾痕が生々しく刻まれています。
弘道館入口からまっすぐ二の丸跡に向かうと、すぐにGoalの大手橋です。大手橋は二の丸と三の丸をつなぐ、深い堀の上に架けられた重要な橋でした。(堀は現在、県道232号として利用されています)現在の大手橋は、昭和10年に架け替えられたもので、橋長22.8m、幅員6.1m、上部工は鉄筋コンクリート造り、下部工はイギリス積み煉瓦造り(一部石造り)となっています。どういう理由で上部工、下部工をこのような別々の造りとしたのか、残念ながら調べられませんでしたが、土木学会の土木遺産選定理由は「藩政時代の様式を継承しつつ、鉄筋コンクリート造りの橋として架け替えられたもので、水戸城址通りの拠点として親しまれている。」となっています。実際、大手橋の橋面ははっきりとわかるほどに緩やかな凸面となっており、また欄干も情緒あふれるデザインとなっていて、とても親しみやすく感じますし、冒頭の写真の通り、橋の名前に変体仮名(一番上の文字は「於(お)」の変体仮名)を使用する等、工夫を凝らしています。さらに橋の側に設置された斉昭公像の愛くるしさも、大きな効果を発揮していると感じました。大手橋の下部工については、橋の両端に設置されている階段を利用して、橋の下を通過する県道へ降りると、大手橋の上部工の下面を見上げながら、イギリス積み煉瓦造り(一部石造り)を間近に見ることができます。なお、大手橋の周囲に土木学会土木遺産の銘板を見つけることはできませんでした。
今回は、前回のGoal「水戸市低区配水塔」から「大手橋」に至る1kmにも満たないコースでしたが、弘道館等をゆっくり見て回りましたので、所要時間は1時間程度となりました。なお、今回のルートには入らなかったですが、水戸城二の丸跡の大手門(後述)、二の丸角櫓、本丸跡の薬医門(水戸第一高等学校の敷地内にありますが、薬医門までの見学入場はできます)など、他にも見どころはたくさんありますので、春の訪れを告げる「水戸の梅まつり(2/11~3/21 開催予定(1/28時点))の時期などに、新型コロナウィルス感染症対対策に十分留意しつつ、十二分に水戸を堪能されてみてはいかがでしょうか。
最後に、大手橋すぐ横に建つ、水戸城址のシンボル・大手門について、少しだけ紹介します。水戸城は屋形(御殿)等が建っていた二の丸が最も重要な区画であったことから、その入り口に位置する大手門は、水戸城の正門に当たる最も格式の高い門でした。現在の大手門は、令和2年(2020年)2月に天保期の姿に復元された高さ約13m、幅約17mの木造2階建ての古風な外観を備える門で、土塁に取りつく大手門としては国内屈指の規模を誇っています。また復元においては建築工法だけではなく、瓦や釘なども戦国、江戸時代のものを再現しているとのことで、こちらも見ごたえ十分です。
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