土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成28年度(2016年度) |
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所在地 | 愛知県名古屋市 |
竣工 | 明治2年(1927年) |
選定理由 | 昭和初期に名古屋港内に設けられた鉄道可動橋で、日本に現存する数少ない近代跳開橋の1つである |
「カメ類繁殖研究施設」の南は海に面した緑地が整備され、2007年(平成19年)の名古屋港開港100周年を記念して生まれたキャラクター「ポータン」の記念像が置かれていますが、そこに旧食糧庁サイロがモニュメントとして保存されています。旧食糧庁サイロは昭和30年(1955年)に輸入穀物の保管施設として整備されたもので、高さ28m、直径7m50cmの円筒形のサイロが12本建っていました。当時の最先端技術である「スライディングフォーム工法」(※打ち継ぎ目なしのコンクリート壁面をつくるのに用いる、上方滑動可能な型枠工法のことで、サイロ・給水塔・煙突などの、水平断面が同じで床のない建物に適している工法)で造られています。平成6年(1994年)にサイロとしての役割を終えていますが、「港の歴史を残す貴重な風景を残そう」と願う声を受けて、その一部が今もその継ぎ目のない美しい姿で輝いています。
ポートブリッジを渡り、名古屋港ポートビルに入ります。白い帆船をイメージした少し変わった形の高さ63m(13階建て相当)のこのビルには、3・4階に名古屋海洋博物館(入館:大人300円)があり、6,000年以上も続く世界の船の歴史を学んだり、「操船シミュレータ」によりCGでリアルに表現した映像を見ながら船の操縦を体験したりすることができますが、今回は最上階の7階(高さ53m)にある展望室(入室:大人300円)から、南に広がる名古屋港の景色(「名港トリトン」の愛称を持つ、伊勢湾岸自動車道の3つの斜張橋も天気がよければ遠くに見ることができます)や、眼下のポートブリッジ、南極観測船「ふじ」などの景色を眺めました。
このビルに高い建物は隣接していないため、南の名古屋港から北の市内中心部方向まで360度の景色を気持ちよく眺められますのでお勧めです。視界が良い日には、40km離れた御在所岳(標高1,212m)、55km先の伊吹山(標高1,377m)、70km先の恵那山(標高2,191m)などの山々も眺められる、とのことです。当日は晴れて視界も良好だったので、展望室から北東方向にある跳上橋を見下ろすことができないか、と期待したのですが、残念ながら少し離れた位置にある建物にさえぎられて、見ることはできませんでした。その代わりと言っては何ですが、南極観測船「ふじ」の先、北西方向に朱色に映える「中川橋」(今年度の選奨土木遺産に選定されています)を見ることができました。遠くから見ても鮮やかに目立つ中川橋(写真5下の少し右上に薄く白い円形の観覧車が映っていますが、そのすぐ右横に朱色の中川橋があります。)については、なるべく早い時期に改めて、この「歩いて学ぶ歴史的構造物-土木遺産を訪ねて-」コーナーで紹介したいと思います。
名古屋港ポートビルを出ると、すぐ北側に全長100mの、ひときわ目立つオレンジ色の南極観測船「ふじ」が係留されています。「ふじ」は初代の「宗谷」に継ぐ2代目の南極観測船で、日本で最初の本格的な砕氷船として昭和40年(1965年)から18年間にわたり活躍し、昭和60年(1985年)からは名古屋港にて南極博物館として利用されています。船内には当時の姿で保存されているブリッジ(操舵室)、食堂・調理室などや、南極の昭和基地近くで採取した貴重な氷の展示、個室のない一般乗組員105人の三段ベッドといった驚きの光景を見学できるほか、「ふじ」の航海や南極大陸の旅を体験できる「極感ドラマティックシアター」、氷を割って進む「ふじ」の特徴をわかりやすく解説した「エンジンのしくみ映像コーナー」も用意され、南極観測船の概要、乗組員の船での暮らしなどを学ぶことができます(乗船:大人300円)。
砕氷船は、分厚い氷を船の重みを利用して割りながら航行するのですが、船首の重量だけで割れない場合は燃料の重さまでも利用することから、船体の前後左右に大型タンクが設置されていて、ポンプで燃料を移動させ、重量を増やす仕組みになっています。また船の後方は甲板になっていて、ヘリコプター3機を搭載可能となっています。
「ふじ」は総航行距離地球17周分、68万kmで役目を終えた後、排水量が2倍となった「しらせ」に南極任務を譲りましたが、現在は、最新型の南極観測船「二代目しらせ」が平成21年(2009年)から観測を行っています。
「ふじ」の前にはポケットパークが整備されていて、「ふじ」の「主錨」(重量4,160kg)やプロペラ(直径4,900mm)・プロペラ軸(長さ11,500mm)、南極大陸で約20年間使用された「中型雪上車SM50S」、南極の昭和基地付近で採取された「ざくろ石片麻岩」、南極にやむなく残されたものの一年間生き抜いたソリ犬「タロ・ジロ」の像などが、各々説明看板とともに設置されています。
なお、このポケットパークからガーデンふ頭緑地公園を東に向かって横切った先には、昔、複合商業施設である「名古屋港イタリア村」が平成17年(2005年)に開園され、イタリアのヴェネツィアの景観を模した建物が建ち並ぶなど活況を呈していましたが、入場者の減少等により平成20年(2008年)に閉園され、すでに建物も撤去されているのは、イタリア村開園時を知る者には寂しさを感じます。
ガーデンふ頭緑地公園を通り抜けた東側から北に向かって500mほど進むと、稲荷橋に到着します。跳上橋の南側は私有地で関係者以外立入禁止となっており、北側は高い護岸壁が整備されていますので、跳上橋全景を見るには、この稲荷橋がベストです。(跳上橋に関する説明看板も稲荷橋に設置されています。なお跳上橋すぐ北側の護岸壁には簡易な足掛け金物がありますので、相当注意を払いながらそれを利用すれば護岸壁上から撮影することはできます。)
この跳上橋は堀川河口部の西側に位置し、昭和2年(1927年)に、東海道本線の貨物支線(通称「名古屋港線」)の、堀川と中川とを連絡する旧1・2号地間運河に架設された橋長63.4m、幅員4.7mの鉄道橋で、我が国に現存する最古の跳上橋とされています。大正末期から昭和初期にかけて多数の可動橋を設計した、可動橋の第一人者である山本卯太郎氏の設計で、4連ある桁のうち、南側の1径間が可動桁となっており、桁長23.8mの可動部を15馬力の電動機を用いて、上昇に66秒、下降に45秒をかけて昇降させることができます。もともと堀川は、慶長15年(1610年)に名古屋城の城下に米や味噌、木材などを運ぶために造られたため、河口付近には材木を扱う船蔵が多く、当時も材木を乗せた船が行き来していました。また、当時の名古屋は紡績業も盛んだったことから、輸入した綿花を運ぶために臨港鉄道を延長して旧1号地と旧2号地を結ぶこととなり、運河を渡るこの跳上橋が造られました。綿花を運ぶ列車を上に、材木を運ぶ船を下に眺めつつ、名古屋港の発展を支えた跳上橋でしたが、トラック輸送の発達などにより、昭和61年(1986年)にその役目を終えています。なお、跳上橋は昭和62年(1987年)から、可動部の桁を跳ね上げた状態で保存されていますが、これは運河の両側にある工場に荷揚げをする船が今でも運河に出入りするためです。
跳上橋は、名古屋市営地下鉄名港線「名古屋港駅」から徒歩10分程度の距離にありますが、今回は「ガーデンふ頭」界隈を散策しながら向かいましたので、60分程度(距離:1.5km程度)でGoalに到着しました。可動橋は東京の勝鬨橋が有名ですが、鉄道の可動橋で現役なのは日本でただ1か所、三重県四日市市の千歳運河に架かる昭和6年(1931年)完成の「末広橋梁」(全長54m、幅員4m、中央の桁部分16.6m)で、橋梁上は構外側線 (JR関西本線 四日市駅~四日市港)が通っています。すでに90年以上活躍していますが、この橋も跳上橋を設計した山本卯太郎氏の設計によるものです。また、現役で動く我が国最古の道路可動橋は、昭和10年(1935年)完成の、愛媛県大洲市の肱川河口部に架かる「長浜大橋」(延長232.3m、幅員6.6m、開閉部分の長さ18m)とのことです。なお、名古屋には跳上橋を含めて全部で3橋の可動橋があったということですが、現存するのはこの跳上橋だけです。跳上橋は平成11年(1999年)に国登録有形文化財にもなっており、保存していくことは大変とは思いますが、貴重な土木遺産としていつまでもその姿を残してほしいものです。なお、今回は外観しか見学しませんでしたが、名古屋港水族館、名古屋海洋博物館、南極観測船「ふじ」船内などの見どころタップリの施設が途中にありますので、時間がある方は、あわせて見学いただければと思います。
(※本文中に記載の入館料等は標準的な料金であり、各種割引が行われています。)
Topicsにおいて触れた、我が国唯一の現役の鉄道可動橋である三重県四日市市の「末広橋梁」(土木遺産には選定されていませんが、国指定重要文化財となっています)を訪ねる機会がありましたので、ここに追加記載します。
『末広橋梁』
末広橋梁は、5連の桁により構成され、1連がコンクリート桁、4連が鉄桁となっています。中央の跳開部の桁が四日市駅側(西側)を支点として、橋脚上に建つ門型鉄柱の頂部に渡されたケーブルにより持ち上がる形式で、四日市駅側にある機械室からの操作で、ウィンチで巻き上げて跳開部を動かしているそうです。以前は、常時橋が降りた状態で船が通過する時のみ跳ね上げる運用でしたが、平成11年(1999年)4月からは、平日は通常、約80度の角度で橋桁を跳ね上げて船舶が航行できるようにしておき、列車運行時に橋桁が降ろされる、という現在の運用に変更されたとのことです。末広橋梁を訪れた当日は、運行時間とされている時刻に訪れたものの、残念ながら列車が橋上を通過しているのを見ることはできず、橋桁が跳ね上がった状態の写真しか撮影できませんでした。
『臨港橋』
末広橋梁の2~300mほど南側にも、同じく跳開式可動橋である臨港橋が、四日市市道橋として架かっています。初代の橋は昭和7年(1932年)に架けられましたが、現在は平成3年(1991年)に完成した3代目の橋(全長:72.6m、幅員:11m、可動部の長さ:26.1m)ということで、橋の親柱には四日市の名産でもある萬古焼のタイルが張り付けられています。普段は橋桁を降ろしていて、船が通航する時に跳ね上げる、末広橋梁とは逆の運用になっています。油圧ジャッキで橋桁を 70 度程押し上げて開くとのことですが、その支点は末広橋梁とは逆側になる四日市港側(東側)になっています。船が通航する時には、末広橋梁、臨港橋の2つの可動橋が並んで跳ね上げられている珍しい光景が見られるとのことですが、残念ながら、これも見ることができませんでした。
地理院地図をもとに当財団にて作成
※最寄り駅はJR四日市駅ですが、少し距離があります。
JR四日市駅や近鉄四日市駅からレンタサイクルを利用するのも便利です。
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