土木遺産を訪ねて 最寄り駅から歩いて行ける土木学会選奨土木遺産を紹介。周辺の見どころ等、旅の参考にしてください。

木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。

File 28

第四大和川橋梁:上流側より

第四大和川橋梁:上流側より

【関西本線三郷(さんごう)~河内堅上(かわちかたがみ)間橋梁群】

第四大和川橋梁
認定年令和元年度(2019年度)
所在地奈良県生駒郡三郷町~奈良県北葛城郡王寺町~大阪府柏原市(かしわらし)
竣工昭和7年(1932年)
選定理由関西本線三郷~河内堅上間橋梁群を構成する第三大和川橋梁と第四大和川橋梁は、大規模な地すべり地を迂回するために特異な架構形態を採用した希少な鉄道構造物です。

注)写真・図の番号の後ろに「※」がついているものは、国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所より提供いただいたものです。

Start

今回の歩いて学ぶ土木遺産は、大阪府柏原市にあるJR関西本線河内堅上駅から、土木遺産「関西本線三郷~河内堅上間橋梁群」を構成する第四大和川橋梁(柏原市)、さらに第三大和川橋梁(三郷町)へ向かう行程です。この行程は大和川に沿って西から東へ上流方向に進むのですが、大和川の南側(左岸側)を走る国道25号はトラックなど大型車両の交通量が多く、歩道がない区間もありますので、大和川の北側(右岸側)のルートを進みます。このルートは、令和2年(2020年)6月に「もう、すべらせない!!~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~」として、文化庁が日本遺産として認定(STORY #098)した龍田古道の一部(行幸の道)であり、奈良の平城宮と大阪の難波宮を結ぶ大路として、数多くの文化人や貴族が通ったとされているルートです。また認定された日本遺産の名称にもある「亀の瀬」は、大和川の北側(右岸側)から南側(左岸側)に向かって地すべりが繰り返されてきた難所であり、土木遺産「関西本線三郷~河内堅上間橋梁群」は後述の通り、亀の瀬地すべりとの関係が深いことから、今回の「土木遺産を訪ねて」は、この亀の瀬地域における地すべり対策についても取り上げることとします。

写真1)JR河内堅上駅

写真1)JR河内堅上駅

図1)龍田古道イラストマップ(日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会HPより)

図1)龍田古道イラストマップ(日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会HPより)

Point 1

JR関西本線の踏切を渡り、さらに川沿いに東に進むと、第四大和川橋梁があります。約230mの橋長で、24の橋脚が設置され、半径400mでカーブしながら大和川を約30°の角度で越えていく鉄橋ですが、「選奨土木遺産」の銘板(冒頭写真)は、龍田古道が第四大和川橋梁の下をくぐる箇所の橋脚(かなり大阪側の橋脚)にはめ込まれていました(第四大和川橋梁に関する河川法許可標識の横にあります)。もともとここから先の区間の鉄道は、大和川を渡ることなく、そのまま大和川の北側(右岸側)を走り、亀の瀬地域はトンネルで抜けていたのですが、地すべりが昭和6年(1931年)11月から始まって翌年に活動が活発化し、鉄道トンネルを崩壊させ、両側の入口も埋めてしまったことから、この区間は大和川の南側(左岸側)に迂回することとして、大和川を左岸に渡ってからまた右岸に戻ってくる、第四大和川橋梁と第三大和川橋梁が架けられた経緯があります。
約1kmの迂回ルートは、2つの橋と3つのトンネルを施工する必要がありましたが、昭和7年(1932年)の年末には、単線での運転を再開しています(複線での運転再開は昭和10年(1935年)まで待つ必要がありました)。第四大和川橋梁が架けられた地点は、冒頭写真の通り、一番川幅が狭い区間のために橋脚を川の真ん中には造りにくいことや、大和川を斜めに渡ることから橋梁長も長くなること、上述の通りタイトな施工期間であったこと等から、この橋梁はトラス橋の上に交叉してプレートガーター橋が乗っている、極めて珍しい構造をしています。なお、写真4)は、龍田古道からは第四大和川橋梁の特徴ある写真を撮るのは難しかったため、少し遠回りしましたが、対岸の国道25号(歩道がなく、大型車両の通行が多いので十分な注意が必要です)に渡って撮影しました。

写真2)第四大和川橋梁(下流側より)

写真2)第四大和川橋梁(下流側より)

写真3)第四大和川橋梁(左岸橋下より)

写真3)第四大和川橋梁(左岸橋下より)

写真4※)旧大阪鉄道・亀瀬隧道の圧壊

写真4※)旧大阪鉄道・亀瀬隧道の圧壊

Point 2

第四大和川橋梁の下をくぐってまっすぐ進むと、亀の瀬の地すべり地域が左手側に、大和川を渡る「新亀の瀬橋」が正面に見えてきますが、橋の少し手前にある大きな石が「亀岩」(亀石)です。川の中にある大きな岩塊から南西に細く突出した部分をもつ巨石は、いかにも甲羅から頭を出す亀のようです。
亀の瀬という名はこの亀岩があることによる、とも言われています。また、「亀石が動くと奈良が水に沈む」という伝承があり、この「亀石」とは、諸説あるものの、明日香村の「亀石」ではなく、ここ亀の瀬の「亀岩」のことと言われているようである。

写真5)亀岩(右岸下流側より)

写真5)亀岩(右岸下流側より)

Point 3

亀石をながめ終えたら、もう亀の瀬です。亀の瀬の地すべり対策は国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所が実施しており、亀の瀬地域には、高い鉄塔がひときわ目立つ亀の瀬出張所や、ほぼその真向かいに位置する「亀の瀬地すべり歴史資料室」があります。そのほか地すべり対策として造られた施設等も見学できますので、ここではそれらを紹介することとします。

◎『亀の瀬地すべり歴史資料室』
亀の瀬の地すべりの歴史背景や地すべり対策工事について学ぶことができます。昭和6年(1931年)に発生した地すべりは、約32haに及ぶ山塊が大和川に向かって概ね南方向にすべり始めたもので、翌年7月の豪雨により地すべりがさらに活発化して、水平方向に最大約30mすべり、大和川の河床も9m以上隆起しました。これにより大和川は完全に閉塞し、上流部の王寺町あたりは浸水してダム湖のようになってしまったそうです。奈良県北部の奈良盆地を流れる水はすべて大和川に集まり、大阪府と奈良県の県境の、北は生駒山地、南は金剛山地に挟まれる亀の瀬地域をたった一つの出口として大阪府へ流れ出るため、亀の瀬地域の地すべりにより大和川が閉塞すると、奈良県側に大災害が発生します。さらにその閉塞が決壊すると、王寺町などに浸水していた水が一気に下流に流れ出し、大阪府側にも大災害が発生してしまいますので、亀の瀬の地すべり対策の重要性がよくわかります。なお、現在の大和川は、昭和6年(1931年)の地すべり発生後に、左岸側(南側)にある明神山を削り取って新たに開削したものであり、それ以前の川筋からは南側にずれた位置になっています。また当時の復旧対策の掘削土量はおおむね187万m3と、東京ドームの容積の約1.5倍にものぼったそうです。亀の瀬地域のこのような歴史背景・経緯や、大規模地すべり時の写真、地すべり対策工事の概要・効果などが、この歴史資料室にはわかりやすく掲示されていますので、ぜひ見学いただければと思います。(見学:無料。平日は事前予約制、土曜・日曜・祝日は予約不要10時~14時30分。詳しくは日本遺産「龍田古道・亀の瀬」公式サイト、または⼤和川河川事務所のHPをよくご確認ください。)

写真6)亀の瀬地域の模型(亀の瀬地すべり歴史資料室)

写真6)亀の瀬地域の模型(亀の瀬地すべり歴史資料室)

写真7※)地すべり発生時の畑地亀裂

写真7※)地すべり発生時の畑地亀裂

図2※)大和川と亀の瀬の位置

図2※)大和川と亀の瀬の位置

◎『大規模深礎工』
地すべり対策には、地すべりを起こす移動土塊そのものを除却する排土工、地すべりを起きやすくする移動土塊への水分の浸透を防止・軽減する排水工(地表水及び地下水)、移動土塊に杭を打ち込み、その抵抗力で地すべりを抑える深礎工、等の対策がありますが、ここでは、170基の深礎杭(そのうち55基が大規模深礎工)について紹介します。深礎杭は、地中を掘削して大きな円筒状の穴を造りつつ、1m掘るごとに厚さ35cmの仮巻コンクリートで周囲を固めることを繰り返しながら深く掘っていき、予定の深さまで到達すると底部から上に向かって鉄筋を組み立て10mごとにコンクリートを打設して造ります。
施工技術の進歩に伴って杭も大規模化しており、昭和40年代は人力掘削で行っていたこともあって直径3.5m、杭長は最大30mでしたが、昭和54年~61年には削岩機による掘削を行い直径4.0m、杭長は30m~60mとなり、昭和61年からは重機による掘削を行って直径6.5m、杭長55m~96mの深礎杭を整備しています。直径6.5mの大規模深礎杭55基のうち、42基は地すべり土塊の最も低い位置に、ほぼ大和川に並行して設置されています。亀の瀬で設置された直径6.5m、杭長96mの深礎杭は、わが国最大のものであり、この杭の施工には、概ね3年の月日を要したとのことです。なお、現在は杭の設置を無人化施工で行う試みも実施されているそうです。また、通常、深礎杭の最上部は覆土し、杭がどこにあるか地表では分からないようになっていますが、大規模深礎杭の1基だけは、その大きさが実感できるように、写真9のように地表に姿を見せています。

図3※)深礎工位置図

図3※)深礎工位置図

写真8※)深礎工施工状況

写真8※)深礎工施工状況

写真9)深礎工(直径6.5m)地表部分

写真9)深礎工(直径6.5m)地表部分

◎『排水工』
地表水、地下水を排水するための水路が約2,700m設置されています。地下水排除工は、地すべりの危険がある土塊内の地下水を排水するのが目的ですが、浅い層の地下層を排除するために明暗きょ工、横ボーリング工が、深い層の地下水を排除するために、集水井(しゅうすいせい)工、集水ボーリング、排水トンネル工が整備されており、集水ボーリングは約3,900本、147kmに及ぶ整備がされているということです。
なお、亀の瀬地すべり歴史資料室のすぐ傍に、第一号の排水トンネル(昭和44年3月完成)の入口があり、当時の柏原市長の書による「亀ノ瀬排水隧道第一号 建設省大和工事事務所」の銘板が設置されています。このトンネルは、もともと高さ・幅が約2.1m程度であったものを、平成14年(2002年)に高さ・幅約4mまで拡幅したもので、申し込めば、入口から約200m奥まで歩いて見学することができます。また、「亀の瀬地すべり歴史資料室」から新亀の瀬橋方向に少し進んだところに、直径3.5mの集水井が設置されており、その大きさを実感することができます。

図4※)排水トンネル等模式図

図4※)排水トンネル等模式図

写真10)第一号排水トンネル(奥から入口を望む)

写真10)第一号排水トンネル(奥から入口を望む)

◎『旧大阪鉄道亀瀬隧道』
地すべり対策ではないですが、平成20年(2008年)に旧大阪鉄道亀瀬隧道(以下「亀の瀬トンネル」という。)の一部区間が約80年ぶりに発見されました。発見されたレンガ造りの隧道は明治25年(1892年)に完成したものの、昭和6年(1931年)の地すべりにより、大部分が崩壊したトンネルの一部約40mの区間ですが、驚くことにほとんど無傷の極めて良好な状態で発見され、側壁部がイギリス積み、上半部は長手積み、という明治期のレンガ造りのトンネルの典型的な様式であることも確認されています。大和川河川事務所が排水トンネルを新たに設置する工事を行っている際に、偶然見つかったということです。亀の瀬トンネルは、もともと当初は単線で建設されましたが、大正12年(1923年)に複線化された際、おおむね現「亀の瀬地すべり歴史資料室」より大阪側は隣り合わせに上下線のトンネル設置が行われたものの、奈良側はもともとのトンネルが北側にカーブして大和川から離れた位置に設置されていたため、新たに設置するトンネルはカーブさせずに元のトンネルとは距離を開けて、大和川の近くに設置された経緯があります。このため、昭和6年(1931年)の地すべり発生時には、大和川から離れたトンネルがクッションの役割を果たし、大和川沿いの、平成20年(2008年)に発見されたトンネル区間に被害が及ばなかったのではないかとも推測されています。ただ、現地で発見されたトンネルの奈良側は、土砂が崩れてトンネルに入ってきたことを物語る状況がそのまま残されています。またトンネルの天井、側面のレンガには蒸気機関車による煤が残っており、当時がまざまざと偲ばれます。
この⻲の瀬トンネルは、平⽇は予約制、土曜・日曜・祝日は予約不要の試験開館(入場時間制限あり)で⾒学できますが、詳しくは日本遺産「龍田古道・亀の瀬」公式サイト、または⼤和川河川事務所のHPをよくご確認ください。

写真11※)亀の瀬トンネル 機関車の煤で汚れた壁面

写真11※)亀の瀬トンネル
上:全景
中:奈良側の土砂侵入状況
下:機関車の煤で汚れた壁面

Point 4

亀の瀬の見学施設を後にして東に進むと、峠八幡神社があります。川沿いの龍田古道で最も標高が高い場所にある神社で、古道を行き交う人々が、天然の関であるこの地で、旅の安全を祈願したことに始まるとされています。なお、神社前には石造の地蔵菩薩像が安置された地蔵堂があります。この像は直接見ることはできませんが、花崗岩を浮き彫りにした坐像になっており、技術的に秀でたものということです。

写真12)峠八幡神社と地蔵堂

写真12)峠八幡神社と地蔵堂

Goal

さらに東に進み、亀の瀬の地すべり区域を抜けると、住宅地が開けてきます。そこから川沿いに出ると、大和川に架かる県道195号王寺三郷斑鳩線の大正橋があり、そのすぐ先の大和川を斜めに横断するJR関西本線第三大和川橋梁がGoalとなります。この橋梁は、橋長約160mで、2連のトランケートトラスと鈑桁で構成されており、少し丸まったトラス構造橋梁は、架橋当時のもので珍しく、県内唯一のものだそうです。なお、トランケートトラス橋とは、トラス橋の1種であり、通常斜めに立ち上がる端柱を垂直にしたもので、川の流れに対して斜めに橋を架ける斜橋に多く用いられています。主構を真横から見ると、一端は斜めに、他橋は垂直になっているのが特徴であり、わが国では、比較的古い鉄橋でわずかに採用された極めて珍しいタイプの鉄橋になります。

写真13)第三大和川橋梁 主構端部

写真13)第三大和川橋梁
上:大正橋より全景
下:主構端部

Topics

今回は、土木遺産であるJR関西本線第四大和川橋梁、第三大和川橋梁と、両橋梁を架けるきっかけになった亀の瀬の地すべり地域を訪れました。今回のルートは「Start」でも記載したとおり、日本遺産として認定されており、それをきっかけにして、日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会が、地元である奈良県三郷町のものづくり振興課、大阪府柏原市のにぎわい観光課を事務局としてHPを立ち上げ、活発な活動を行っています。例えば、令和4年(2022年)5月からは日本遺産のPRの一環として、亀の瀬トンネル内で一定期間貯蔵した炭酸飲料を「亀の甲羅(コーラ)」として販売し、令和5年(2023年)1月からは、発見されたトンネル内でプロジェクションマッピングを開催する等の取り組みを実施しています。「亀の甲羅」は「亀」にちなんで緑色、「甲羅」にちなんでコーラ味の飲料ということですので、ぜひお試しください。

写真14)亀の甲羅

写真14)亀の甲羅

なお、Goalの第三大和川橋梁からJR三郷駅までは200mほどですが、時間に余裕がある方は、JR三郷駅を越えて徒歩5分程度の距離にある龍田大社に参拝するのもお勧めです。
また、今回はご紹介し損ねましたが、日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会作成のウォーキングマップに掲載されている
「磐瀬の杜」(龍田大社の飛地で廣瀬の水神を祀っている場所)、
「関地蔵」(天武天皇の御世に置かれた「龍田の関」を示す地蔵尊。明治に入り大和川対岸に現在の国道25号線が敷かれるまでは、大阪と奈良の大動脈の通行を管理する場所として、通行料等を徴収していたとのこと)、
「竜王社」(近世に大和川を運航した剣先船の船着き場跡。舟運の安全を祈って祀られた神社)
等の見どころもありますので、お立ち寄りください。

最後になりますが、たくさんの写真・図をご提供いただいた国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所様に謝意を表します。なお、大和川は長らく、国直轄管理河川のなかで水質が悪い河川として名が知られており、読者の中には、そういうイメージをお持ちの方がおられるかもしれませんが、水質浄化に向けた流域一体となった長年にわたるこれまでの取り組みが功を奏し、府県管理河川区間も含めた、数ある水質調査地点のほとんどで、BOD75%値が3.0mg/ℓ未満のきれいな水となり、汚れていると判定される5.0mg/ℓ以上の地点もほんの数地点に限られるほど、劇的に水質改善が図られており、昔の大和川とは全く別物になっています。

Album(※)写真をクリックすると全体をご覧いただけます

  • 第四大和川橋梁

    第四大和川橋梁

  • 第四大和川橋梁

    第四大和川橋梁

  • 亀岩(新亀の瀬橋より)

    亀岩(新亀の瀬橋より)

  • 深礎工工法模式図(歴史資料室内)

    深礎工工法模式図(歴史資料室内)

  • 集水井

    集水井

  • 第一号排水トンネル入口

    第一号排水トンネル入口

  • 第一号排水トンネル 銘板

    第一号排水トンネル 銘板

  • 亀の瀬入口(右は新亀の瀬橋)

    亀の瀬入口(右は新亀の瀬橋)

  • 龍田大社

    龍田大社

  • 龍田大社

    龍田大社

Map

地図

地理院地図をもとに当財団にて作成

【今回歩いた距離:約3.0km】

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