土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成19年度(2007年度) |
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所在地 | 大阪府大阪市 |
竣工 | 毛馬第一閘門:明治40年(1907年)、毛馬第二閘門:大正7年(1918年)、毛馬洗堰:明治43年(1910年) |
選奨理由 | 明治時代の淀川改修の主要施設で、大阪市内の洪水防御、ならびに淀川本流と旧淀川間の舟運の確保に資した施設群である。 |
今回の歩いて学ぶ土木遺産は、大阪市都島区にある大阪メトロ谷町線都島駅から、土木遺産「毛馬閘門・洗堰群」へ向かう行程です。わが国最初の本格的な治水工事である「淀川改良工事」(明治30〜43年)によって、守口から南西方向に真っすぐ大阪湾に向かう約16kmの「新淀川」を開削して、現在の新淀川、旧淀川の姿が形づくられましたが、大阪市中心部へ流れる、「大川」とも呼ばれる旧淀川への水量を制御する洗堰や、京都と大阪をつなぐ当時の重要な輸送手段であった舟運を確保するための閘門も、毛馬の地点における重要な施設として建設されたものです。
取材当日は、あいにく雨模様でしたが、まずは都島駅から北西方向に「大川(旧淀川)」に向ってStartします。
飛翔橋を渡らずに、大川の手前を川沿いに上流に向かって700mほど進むと、城北公園通りとの交差点「毛馬橋東詰」の南東角に淀川神社があります。昭和28年(1953年)に、旧友渕村の氏神を祀っていた「十五神社」と、旧毛馬村の氏神を祀っていた「八幡大神宮(八幡神社)」とを合祀する形で十五神社の境内に設立された神社ですが、両神社とも長く地域の総鎮守として親しまれていたものの、明治時代末期からの紆余曲折を経て合祀され、現在に至っているようです。御祭神は天照坐皇大御神などの十五柱の神々で、平安時代頃に淀川河口に海賊を取り締まるために配備された役人により、全国の名だたる十五柱の神々を守護神として祀ったことから、その名も十五神社と呼ばれていたとの口伝えがあるとのことです。なお氏子には、「なの花や 月は東に 日は西に」などの俳句で有名な、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村がおり、境内には蕪村像も置かれています。(取材当日は気づかずに写真を取り損ねました)
堤防沿いに下流方向に少し進むと、すぐに「毛馬こうもん」と大きく記された赤いゲートがあります。これが現在の毛馬閘門の淀川側の出入口です。この毛馬閘門は現在も利用されており、水位差がある淀川と大川との間での円滑な船の航行が行われています。さらに毛馬閘門の右奥に見える水色の3門のゲートは毛馬水門です。毛馬水門は大川への維持用水のコントロールを行っていますが、淀川洪水時にはゲートを閉めて、大川への洪水流入を防ぐ、大阪市内の洪水防御の役割を持っています。なお、毛馬水門の下流端(写真5の右側)から、淀川を横断する形で淀川大堰が設置されています。淀川大堰、毛馬水門、毛馬閘門が一体となって治水・利水・環境の機能を維持しており、国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所の毛馬出張所が管理しています(淀川大堰は独立行政法人水資源機構との共同管理)。さらに毛馬水門のすぐ下流側(淀川大堰より下流側)には大阪府が管理する毛馬排水機場もあります。
大川に合流する寝屋川が洪水になることにより、あるいは高潮に備えて大阪市内を流れる安治川などの防潮水門が閉められることにより、大川の水位が高くなった場合に、大川の水を淀川(淀川大堰の下流側)に排水し、大阪市内の浸水を防ぐ役割を持っています。排水能力は揚程2.2m(高潮時)で毎秒330m3であり、これは甲子園球場を約30分で満杯にできる能力です。もちろん国内最大級の規模であり、6基の巨大なポンプで排水する仕組みです。
毛馬排水機場前を通ると土木遺産「毛馬閘門・洗堰群」になります。設置当初は毛馬洗堰と毛馬(第一)閘門だけでしたが、毛馬(第一)閘門完成後に行われた旧淀川の浚渫により旧淀川の水位が著しく下がったことから、これを解消するため、毛馬(第一)閘門の下流側に新たに毛馬第二閘門が造られました。毛馬第二閘門完成以降は、閘門として(船舶通航の水位調節)の役割は毛馬第二閘門が担い、毛馬第一閘門は通常は門扉を開いたままにしておき、淀川の洪水時には門扉を閉めるという洪水防御の役割を担っており、毛馬第一閘門、毛馬第二閘門とも、現在の毛馬閘門完成(昭和49年(1974年))後の昭和51年(1976年)1月まで使用されていたとのことです。なお毛馬第二閘門は、現在は舟溜まりとして使用されています。毛馬洗堰、毛馬第一閘門の周辺は公園整備されていて、間近に見ることができるようになっています。洗堰、第一閘門ともに煉瓦造りで、端部や要所に花崗岩が使用されています。
第一閘門の閘室(水路)は長さ約80m、幅約10m、側壁高さ約8mとなっています。前後に設置されているゲートは、当初は鉄製の観音開きの形式で、両岸からハンドルを回して開閉していましたが、昭和3年(1928年)の改修工事により、開閉作業の迅速化のために引き上げ式の鉄製扉に変更されたとのことです(現在の扉は、当初の観音開きの構造で保存されています)。洗堰は9本の堰柱により10箇所の水通しを持つ総延長約53mの構造で建設されましたが、現在はそのうち3門分がよく保存されています。
今回訪れた毛馬閘門・洗堰群周辺には、淀川に関連するモニュメントなどがありますが、まずは、水道水の確保や潮止めを目的に昭和58年(1983年)に完成した淀川大堰において現在整備が進められている、淀川大堰閘門事業から少し詳しく記載します。
○淀川大堰閘門事業(BIM/CIMなど、インフラDXの活用)
淀川大堰の上下流では最大2m程度の水位差が生じるため、現在は、船の往来ができない状態です。しかし、阪神・淡路大震災時に船による資材の運搬が早期復旧に寄与したことや、観光を担う重要な輸送手段として舟運の必要性が近年認識されてきたことから、淀川大堰に新たに閘門(幅約20m、延長約70mの閘室(水路)で、大型観光船(定員100名程度)であれば4隻が同時通行可能な規模)を設置する淀川大堰閘門整備事業が、令和3年度(2021年度)に着工されました。令和7年(2025年)に開催予定の「大阪・関西万博」までの完成を目指し、BIM/CIMなどのインフラDXを活用しながら進められています。
具体的には、
・BIM/CIMモデルの活用:構造物の視覚的なイメージ把握や並行作業におけるリスク認知、また構造物内の鉄筋や電線の干渉状況などを可視化することで、より円滑な施工が可能となります。
・VRを用いた閘門通過体験・現場体験:QRコードをスマートフォン等で読み取りVRで確認できるようにするほか、デジタル世界での「現場」で施工のシミュレーションを行うことで安全な施工に役立てます。
・ARを用いた閘門完成形の可視化教育:閘門の完成形を現場に重ね合わせたARを現地見学会などに活用し、閘門の機能や役割について、より伝わる広報を行います。
・クラウドカメラの活用:撮影方向を遠隔で操作できるクラウドカメラを現場に設置して、遠隔で工事状況を把握できるようにするほか、クラウドカメラで得られた画像を用いて工事の進捗状況を映したタイムラプス動画を作成し、工事の進捗が一目でわかるようにします。
等の取り組みが行われており、担当する国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所ではHPに「淀川大堰閘門事業」のコーナーを設けて、動画やパンフレットの公開、さらには「淀川大堰閘門通信」の発行などの情報発信を行っています。
https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/ozeki-komon/index.html
なお、閘門整備に伴う一時的な施設としてですが、淀川大堰近くに「淀川インフラDX推進センター」が設置されており、そこで閘門整備の概要や、設計面・施工面でのインフラDXの取り組みを学ぶことができるほか、VR体験もすることができます(淀川インフラDX推進センターは常時開設されてはいませんが、土木技術者や、今後土木の仕事に従事したいと希望する方には、あらかじめ淀川河川事務所へ電話で事前予約をしていただければ開設は可能とのことですので、ご留意ください。)
窓口:淀川河川事務所沿川整備課 TEL 072-843-2861(代)
○沖野忠雄博士の胸像
沖野忠雄博士は数多くの土木事業に係わられ、日本の治水港湾工事の始祖と言われていますが、その中で最も心血を注いだのが、淀川の改修工事と大阪築港事業とされています。沖野博士は、淀川改良工事の責任者として、外国製の掘削機を導入するなど当時の最新の理論と技術を用いた大規模な工事を実施されました。また、先に行われたオランダ人技師デ・レーケらの工法をわが国の河川様式に修正応用もされており、淀川沿川、そして、わが国の発展に大きく貢献されました。沖野博士を慕う後輩たちが、昭和10年(1935年)に博士ゆかりの毛馬の地に建てた胸像は、戦争で失われましたが、昭和54年(1979年)に改めて建立されたとのことです。
なお、沖野博士の生まれ故郷の兵庫県豊岡市にある、但馬国一宮の出石神社にも、「沖野忠雄先生」と記された顕彰碑が建立されています。
○淀川改修紀功碑
淀川改良工事の終了を記念して建設された碑で、毛馬第一閘門と毛馬洗堰の間にあります。碑は高さ10.6mもあります。下半部は洋風建築の細部意匠を忠実に表現し、上半部はゆるやかに上方を細めた円柱を立てたもので、堂々たる碑です。なお、紀功碑の周囲に置かれた大小の石は、「残念石」と呼ばれています。江戸時代の大坂城再築城の際に、廃城になった京都伏見城の城石を再利用するために運ばれたものですが、運ばれる途中で船から川に落ちてしまい、大阪城の石垣になれなかった残念な石が、淀川改良工事の際に引き上げられたものと推測されています。なお、多くの石に、点で型取られた刻印がありますが、現存する大阪城の城石にも、同様の刻印が数多く残されています。
○眼鏡橋
新淀川の開削により発生する土砂の運搬や、新淀川以南の地域への灌漑用水供給、舟便のため、新淀川の左岸側に長柄運河が造られましたが、眼鏡橋はその長柄運河に架けられた橋で、アーチ状の見た目から「眼鏡橋」と名付けられています。運河はその後、埋め立てられていますが、当時のデザインのままに補修・保存されています。この眼鏡橋の下をくぐって進むと、写真11に示す毛馬第一閘門下流側に行くことができます。また、冒頭に掲載した土木遺産の銘板は見つけづらいですが、この眼鏡橋から、左側の道路に沿って整備されている園内通路を淀川方向に約30m進むと、国指定重要文化財の銘板と並べて設置されていることを確認できます。(「写真8」に銘板位置を明示)
今回の「土木遺産を訪ねて」は主に与謝蕪村に関連する見どころと、淀川改修のモニュメントなどを訪ねる内容になりましたが、毛馬閘門・毛馬水門から少し上流に向かえば、「城北(しろきた)ワンド群」をみることもできます。「ワンド」とは、川の本流と繋がっているものの、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形 のことで、「湾処」とも書きます。ワンドは淀川の治水、舟運のために設置された水制(流れに垂直に突き出した石積)に、長い年月のうちに土砂が溜まってできたもので、大きさ、形、底の状態などが様々であり、淡水魚、淡水貝、水生昆虫だけではなく、野草、陸上昆虫、小動物、鳥なども生息・生育する生物の宝庫だったとのことですが、現在は外来の魚類や水草の影響を受けて、もともと生息していた生物の数が減っているそうです。
また、毛馬水門・毛馬閘門の対岸には、淀川の水を取水して水道水として利用するための、大阪市の柴島(くにじま)浄水場があります。令和4年度土木学会選奨土木遺産「大阪市水道創設期及び拡張初期の施設群」には、この柴島浄水場の取水塔や旧第1配水ポンプ場(現水道記念館)が含まれていますので、機会があれば改めて、この「土木遺産を訪ねて」のコーナーで紹介したいと思います。
なお、淀川の自然、歴史、文化や改修偉業を深くお知りになりたい方は、大阪府枚方市にある淀川河川事務所横の「淀川資料館」において、貴重な資料を閲覧することもできます。詳細は、淀川資料館へお問合せください。
https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/shisetu/yodo-museum/index.html
地理院地図をもとに当財団にて作成
【今回歩いた距離:約2.0km 都島駅~飛翔橋~毛馬閘門~「毛馬閘門・洗堰群」】
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