土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成22年度(2010年度) |
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所在地 | 岐阜県下呂市 |
竣工 | 昭和6年(1931年) |
選奨理由 | 鉄道(高山線)の開通後の昭和6年に鉄橋として架け替えられた六見橋は、近代温泉街下呂を実質的かつ象徴的に牽引した橋である。 |
今回の歩いて学ぶ土木遺産は、我が国の三名泉の一つとして有名な「下呂温泉」がある岐阜県下呂市の土木遺産「六見橋」へ向かう行程です。六見橋へはJR高山本線の下呂駅から線路に沿って600mほど南(名古屋方面)に向かうのが近いのですが、せっかくなので、下呂駅の東側に位置する温泉街(湯之島地区)近くを回ってから六見橋へ向かうこととします。
出発地点の下呂駅の駅舎は、木造の風情ある建物で、左側に大きく「歓迎 下呂温泉」の文字が記された建物には、下呂市総合観光案内所があります。また、下呂駅のプラットホームや下呂駅前ロータリーの植栽にも、下呂温泉の噴泉塔が設置され、熱い源泉が常に出ていますので、駅に降り立ったその瞬間から、「温泉地に来た」という実感が湧いてきます。
下呂駅から総合観光案内所の脇を抜けて、線路に沿って高山方面に少し進むと、線路の下をくぐり、温泉街に向かう地下道があります。そこを通ってまっすぐ100mほど進むと、下呂の市街地を北から南に貫流する清流・飛騨川(木曽川の支流)があります。この飛騨川に架かる長さ100mほどの下呂大橋の上流すぐの右岸側(駅側)河川敷には、下呂温泉名物の噴泉池があります。噴泉池からは飛騨川の流れ越しに、飛騨の山々をバックにしたいくつもの旅館が建ち並んでいるのを眺めることができます。かつてはこの噴泉池で入浴もできたそうですが、現在は手や足でお湯に触れることができるだけになっており、早速、手で触れてみましたが、源泉温度が最高84℃、供給温度55℃とされているだけに、かなり熱いお湯でした。また、下呂大橋は「いで湯大橋」とも称され、駅側の袂に噴泉塔が置かれているほか(海抜368mとの表示板もありました)、風情豊かな瓦斯燈も設置されています。なお、下呂温泉の泉質は無色透明、Ph値9以上のアルカリ性単純温泉で、ほんのりとした湯の香りがあるほか、角質層を軟化させるアルカリ性の効果によりツルツルした肌ざわりといわれ、「美人の湯」として有名です。また、入浴すると身体がとても温まるので血行が良くなり、疲労回復や健康増進に効果があることから「健康の湯」ともいわれています。
下呂大橋を渡り、交差点を右に進んですぐの長さ10mほどの湯之島橋を渡ると、左側に下呂市観光交流センター「湯めぐり館」があります。約1,400m2の敷地に、地域材のヒノキ、スギをふんだんに使用した木造平屋約240m2の建物があり、街歩きの立ち寄り拠点として利用できるほか、観光客の防災拠点の役割も担っていますが、この敷地には、下呂温泉の名を全国に広めた室町時代の詩僧である万里集九(ばんりしゅうく)の像が噴泉塔とともに設置されています。下呂温泉に関するもっとも古い文献は、応仁文明の乱(1466年~77年)を避けて全国各地を旅した万里集九が、漢詩文集である東国旅行記『梅花無尽蔵』のなかで、有馬温泉、草津温泉、下呂温泉を三名泉と記したこととされています。
「湯めぐり館」から、湯之島橋を背にして進むと、すぐに長さ20mほどの白鷺橋があります。下呂温泉は平安時代中頃(延喜年間(901年~923年)とも天暦年間(947~956年)とも言われています)に発見されて以来、1,000年以上の歴史を持つとされていますが、文永2年(1265年)に湧き出る温泉が突然止まってしまい、村人が嘆き困っていたことがありました。ところがその翌年、白鷺が益田川(飛騨川)の河原に舞い降り、新しい温泉のありかを知らせたという伝説があります(写真2の下呂駅前の噴泉塔の奥の石碑にその内容が記されています)。このことから、白鷺は下呂温泉のシンボルとして広く親しまれており、先ほど渡った下呂大橋など、下呂の温泉街を歩くと白鷺のモチーフをよく見かけます。その白鷺の名を冠した白鷺橋の上に建っているのが、江戸時代に徳川家に仕えた儒学者、林羅山の像です。下呂温泉を「天下の三名泉」と紹介したことで、下呂温泉の名がさらに広く知られることになった史実から、宿泊客150万人達成(平成元年)を記念して、彫刻家の斎藤勝弘氏の作により平成4年(1992年)に設置されたとのことです。なお、この白鷺橋の上には、もう一つ、喜劇王チャップリンの像も置かれています。下呂温泉観光協会が、温泉街を観光客が映画について楽しく語らいながら散策できるような「映画通り」を目指すための第一弾として、チャップリン像の製作を造形アーティストであるスティーブ・ジョンソン氏に依頼し、平成13年(2001年)に完成させたものだそうで、このチャップリン像の隣に座って記念撮影するのが、観光の定番となっているようです。しかも、カップルがチャップリン像をはさんで写真を撮ると結ばれる、と言う噂もあるようです。ちなみに、チャップリンは下呂温泉に来たことはなく、特にゆかりはないようです。(写真6は撮影時期が7月下旬であったために、8月1日~4日(令和5年(2023年))開催の「下呂温泉まつり」に備えた提灯などが、バックに映っています。)
下呂温泉神社からさらにまっすぐ進んでいくと、まだまだたくさんの見どころがある湯之島地区の旅館街になるのですが、土木遺産「六見橋」とは反対方向になってしまうので、先には進まずに白鷺橋を戻っていくこととしますが、いくつか見どころを簡単に紹介します。なお、紹介する見どころの位置や、他の見どころ等は、巻末のMAP欄に貼付した「下呂温泉観光案内図」をご参照ください。
『白鷺の湯、ビーナスの足湯、日本三名泉発祥碑』
「白鷺の湯」は、大正15年(1926年)から地元の人々に親しまれている、洋館風のレトロな外観が印象的な公衆浴場です(有料)。ひのきの内湯だけですが、飛騨川と山々を眺めながらゆっくりと温泉を楽しむことができます。表には「ビーナスの足湯」(無料)もあります。また「日本三名泉発祥之地」碑がすぐ近くに建てられています。
また近くには、「有馬温泉(西へ約213km)」、「草津温泉(東へ約152km)」、ローマ(テルマエロマエ:西へ約9,700km)」、「ニューヨーク(入浴:東へ約10,920km)」と、各場所への距離と方角を記載し、実際の方角を示した矢印板を設置している柱も置かれています。
『温泉寺』
173段の石段を上がり、山門をくぐると「温泉寺」の境内があります。本堂前には、湯薬師如来像が安置されていますが、その足元からは下呂温泉の霊湯が湧きだして、薬師如来の霊験を今に伝えています。上述した伝説の白鷺は、新しい温泉のありかを教えると、高く舞い上がった後、下呂富士とも称される中根山の中腹の松(現在は「瑠璃の松」として切株が山門前にあります)にとまったのですが、その松の下には光り輝く薬師如来が鎮座していた、とのことから、白鷺は薬師如来の化身で、村人たちに再び温泉を授けたとも伝えられています。この温泉寺にはその薬師如来が祀られており、下呂の街と温泉を見守っているとのことです。また、温泉寺は中根山の中腹に建立され、下呂の街並みが一望できるので、高台の静けさと景観が、心安らぐひと時をもたらしてくれます。なお温泉寺では、毎年紅葉の見頃の時期にライトアップが行われ、15人まで入れる「もみじ足湯」も用意されるので、ライトアップされて夜空に鮮やかに浮かび上がる紅葉を眺めながらの足湯を楽しめる、とのことです。
『さるぼぼ七福神社』
「さるぼぼ」とは、子どもの成長や健康を願う、岐阜県飛騨地方に伝わる猿の形をした人形のことです。飛騨弁では赤ちゃんのことを「ぼぼ」というそうです。また「さる」には「去る」の意味もあり、困難や災い、病気が「去る」ことを指すことから、それらを寄せつけないお守りのような意味もあります。さらに猿という漢字は音読みで「えん」と読むことができ、「縁(良縁・縁結び)」や「円(家内円満)」などの願いも込められているそうです。さるぼぼ七福神社入口には、七福神の姿をした大きな「さるぼぼ」がそれぞれ置かれていますが、奥には小ぢんまりとしたお社と、その手前に「さるぼぼ黄金足湯」があり、黄金の宝船に乗った“さるぼぼ七福神”を見ながら、のんびりと足湯に浸かることができます。
Point-4の下呂温泉神社から、白鷺橋を戻ってそのまままっすぐ150mほど進むと、左手に「森水無八幡神社(もりみなしはちまんじんじゃ)」があります。この神社を含め、飛騨地方には、「飛騨一宮水無八幡神社」、「萩原町久津八幡神社」など8社の八幡神社があり、飛騨八幡八社と呼ばれています。神社の本殿前には「茅の輪(ちのわ)」が置かれ、「夏越(なごし)の大祓い、茅の輪くぐり」として、独特の作法でくぐった後にお参りをします。神社の収蔵庫には、国指定重要文化財である10体の木造神像が保管されているそうです。また、飛騨路に春を告げる祭りとして知られるこの神社の例祭「田の神祭り」は、「下呂の田の神祭り」として国指定重要無形民俗文化財になっていますが、「踊り子」と呼ばれる4人の若者が色鮮やかな花笠をかぶって舞を披露することから、別名「花笠まつり」と呼ばれています。祭りは2月7日の「神主(テテ:この祭事を執り行う1年神主)頼みの儀」に始まり、13日の「試楽祭」、14日の「本楽祭」まで厳かに行われますが、祭りのクライマックスとして、「手に入れるとその年一年、幸せに過ごすことができる」とも言われる寄進笠が百数十本も観衆に投げ入れられる「笠投げ」が行われます。
森水無八幡神社からさらに600mほど進んだ交差点を右に曲がって少し進むと、Goalの「六見橋」に到着です。橋長296.3m、幅員4.4mの2径間の鋼鉄ボウストリングアーチトラス橋で、ボウストリングトラスとは、上弦と下弦がそれぞれ弓(ボウ)と弦(ストリング)のような形状となっているものです。六見橋は大正12年(1923年)に吊橋として架けられましたが、国鉄高山線の下呂駅開業直後の昭和6年(1931年)に、吊橋架橋後わずか8年で現存する六見橋に架け替えられています。大阪鐵工所の設計・施工であることが、細い部材で構成されたこの橋に銘板で示されています。なお、下呂駅から温泉街に向かう場合、六見橋を通るルートは下呂大橋を通るルートに比べて遠回りになりますが、奈良時代から続いていた「塚田の渡し」がこの橋のすぐ下流にあったように、六見橋地点は川幅が狭く、橋を架ける好適地だったことがわかります。また六見橋が架け替えられた当時は、下呂大橋地点に橋は架けられておらず構想段階ではあったようですが、六見橋の東側(左岸側)に隣接する開けた土地(森地区)が温泉街の湯之島地区とともに発展していくことを視野に入れて、六見橋を優先的に整備したようです。下呂大橋は昭和39年(1964年)に架橋されていますので、土木遺産選定理由に記されたように、六見橋はまさに「近代温泉街下呂を実質的かつ象徴的に牽引した橋」だったと言えます。ちなみに歩道橋は、昭和49年(1974年)に六見橋の上流側に架橋されています。
また六見橋の名称は、「下呂六景」(弘法山(信貴山)、湯ヶ峰の夕映え、下呂大杉、湯が淵の湯煙、中根山(下呂富士)、温泉寺の桜)をすべて見渡すことができることから名づけられたと言われています。さらに六見橋のモダンなシルエットは、温泉街下呂を彩るイメージの一つとなり、絵葉書には必ず選ばれ、小学校唱歌や当時流行った小唄にも歌われたとのことです。
土木遺産の銘板は右岸側(JR側)上流の橋梁脇に設置された石柱に、大阪鐵工所の銘板は左岸側上流の橋上アーチ部分にあります。
今回は、岐阜県下呂市にある六見橋を訪れました。緑色アーチがひときわ映える美しい橋で、架橋地点の川幅が狭くなっていることは、上流の下呂大橋から眺めてもよくわかります。下呂の温泉街は、昔の風情・香りを漂わせる情緒あるところで、それほど広くないことから、散策するにはぴったりです。飛騨川沿いに建っている旅館も多く、宿泊して飛騨川の景色、音色を存分に楽しむこともできますが、ご紹介した「白鷺の湯」などの日帰り入浴施設も何箇所かありますので、日本三名泉・美人の湯で知られる下呂温泉を手軽に楽しむことができます。また街には幾つもの足湯がありますので(有料のものもあります)、足湯のはしごと洒落てみるのもよいのではないでしょうか。さらに、下呂駅から徒歩15分ほどにある「湯のまち雨情公園」(昭和初期に「下呂歌謡(14章)」を作った民謡詩人の野口雨情にちなんで名づけられています)には、野口雨情の像や歌碑などがありますので、それらを見ながらのんびりと散策路を楽しむこともできます。なお、野口雨情の歌碑は温泉街などにも多数置かれており、JR高山本線沿いに走る県道88号下呂小坂線の歩道脇(下呂駅と六見橋との中間あたり)には、「六ツ見橋ゆきゃ 暑さは志らぬ 涼し川風 そよそよと」(下呂歌謡 第14章の内の4番)の歌碑が置かれています。
下呂までは、JR名古屋駅から特急「ひだ」で1時間40分ほどです。美濃太田駅から2駅目の下麻生駅を越えてからは山間部に入り、車窓からは、白い岩肌の巨岩や奇岩が連なり、飛騨川の青い水面と周囲の山々が織りなす美しい景色を飽くことなく眺め続けられます。春の桜や夏の緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、美しい日本の四季を車窓に映しながら山間を走る高山本線と、本稿ではまだまだ十分に紹介しきれていない下呂温泉の魅力を堪能しながら、土木遺産「六見橋」を訪れてみてはいかがでしょうか。
※飛騨金山駅に「美濃路」と「飛騨路」との境界を表示する看板が掲げられていました。
地理院地図をもとに当財団にて作成
【今回歩いた距離:約1.4km 下呂駅~噴泉池~湯めぐり館~下呂温泉神社~六見橋】
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