土木遺産を訪ねて 最寄り駅から歩いて行ける土木学会選奨土木遺産を紹介。周辺の見どころ等、旅の参考にしてください。

木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。

File 36

滝宮橋(上流左岸側より撮影)
土木遺産銘板

【滝宮橋】(たきのみやばし)

認定年平成23年度(2011年度)
所在地香川県綾歌郡綾川町(あやがわちょう)
竣工昭和8年(1933年)
構造形式3径間連続アーチ橋
諸元橋長91.5m/幅員12m 高さ27.5m
選定理由高松と琴平を結ぶ交通の要所に架けられた、戦前では香川県内唯一の開腹アーチ橋であり、凝った意匠の高欄もそのまま残る貴重な橋です。

Start

今回の歩いて学ぶ土木遺産は、香川県のほぼ真ん中に位置する綾川町の滝宮橋です。
滝宮橋の最寄り駅は、高松琴平電鉄琴平線の滝宮駅で、今回の行程はここをStartとします。琴平線はJR高松駅近くの高松築港駅と、「こんぴらさん」として親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)の最寄り駅である琴電琴平駅とを結ぶ路線で、滝宮駅は高松築港駅から所要時間約40分のところにあります。駅舎は、急勾配の三角屋根と玄関のひさしが末広がりの形から風格と歴史が感じられ、平成20年度(2008年度)に経済産業大臣から「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」として認定されています。なお、取材時は天候が芳しくなく、前日からの降雨がようやく降りやんだ状況でした。

写真1)滝宮駅舎

写真1)滝宮駅舎

写真2)銘板

写真2)銘板

Point 1

滝宮駅を出て30mほど線路に沿って進み、突き当たった県道282号(高松琴平線)を右に100mほど進むと、滝宮天満宮です。この地は菅原道真公が讃岐の国司として四年間住まわれた場所で、道真公が亡くなられて45年後の天歴2年(948年)に、道真公を御祭神として創建されています。なお、菅原家は相撲の神様である野見宿禰(のみのすくね)の後裔ということもあり、野見宿禰も合祀されており、境内には立派な土俵が造られています。また、拝殿には道真公の肖像画(讃岐の国司 四十二歳の時)が飾られています。取材当日はお参り後に肖像画に見入り、拝殿の写真撮影を失念しまいましたので、拝殿の様子は、以下のURLにてご確認ください。
http://takinomiyatenmangu.com/
なお道真公との由縁から、この地は立身出世の登竜門とも言われ、滝宮天満宮→京都(北野天満宮)→大宰府(天満宮)の順で参拝するとよいとも言われているそうです。また滝宮天満宮では、隣の滝宮神社とともに、毎年8月下旬に社前で「滝宮念仏踊り」が奉納されます。菅原道真公に由来するこの踊りは、雨乞いと五穀豊穣を願う千年以上続く神事ですが、法然上人が仏教を広めるため「南無阿弥陀仏」をこの踊りに取り入れたことから、念仏踊りと呼ばれるようになったと伝えられています。昭和52年(1977年)に国の重要無形民俗文化財の指定を受け、令和4年(2021年)に「風流踊」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されています。

写真3)肖像画

写真3)肖像画

写真4)土俵

写真4)土俵

Point 2

滝宮天満宮の社務所前の参道を、西側にある滝宮神社方向に30mほど進むと、右側が、滝宮天満宮の前身とも言われる滝宮龍燈院の跡になります。有名な讃岐うどんの「発祥の地」には諸説ありますが、この龍燈院の初代住職である智泉大徳(空海の甥で、空海十大弟子の一人)が、空海が唐で学んだうどんの作り方を教わり、この地で両親に振る舞ったことから、滝宮は「発祥の地」とされています。なお、当時のうどんは今のような麵状ではなく、団子をつぶして薄く延ばしたものが主流だったようです。

写真5)龍燈院跡

写真5)龍燈院跡

龍燈院の起源は行基上人が建てた祠とされ、それから100年後に空海が開基したと言われており、明治時代初めの神仏分離政策によって廃寺となるまで、滝宮神社・滝宮天満宮の別当寺だったそうです。なお、龍燈院に祀られていた木造十一面観音立像は国の重要文化財として指定されているとても美しい観音さまで、現在は綾川町役場隣の綾川町立生涯学習センターで展示されているとのことです。(ただし、平成20年2月14日に「展示環境の整備のためしばらくの間、公開を中断させていただきます」とアナウンスされていますので、ご注意ください。)

Point 3

龍燈院跡からさらに20mほど進むと、滝宮神社になります。和銅2年(709年)の創建から1300年以上の歴史を持つこの神社は、滝宮の産土神(うぶすながみ。その土地を生み出した神様、その土地に宿る神様)として古くから里人の崇敬が厚いほか、明治時代に「滝宮神社」と改められる前は「牛頭天王社」と呼ばれていたように、牛馬の守護神として信仰され、県内外から、畜産業に関わる人などが牛馬の安全祈願に参拝することも多いそうです。また、神社の境内入口にある、屋根にシャチホコが一つしかない随神門は、初代高松藩主の松平頼重公が寛永21年(1644年)に寄進したものが現存しているものです。門の中の左右の随神は、狛犬や金剛力士のような「阿吽」ではなく、天照大神が天の岩戸から出てきた後の宮殿の門の守衛をした神さまの、「豊磐間戸命(トヨイワマドノミコト)」と「櫛磐間戸命(クシイワマドノミコト)」です。なお、本殿は細かな彫刻が施されたとても立派なもので、大きな岩の上に建てられて高いところに位置していました。また、境内には牛の像や、滝宮念仏踊りの碑、さらには讃岐の国の中心を示した石で、道真公によって建立されたとも言われている、不思議な形をした「国分石」も置かれています。

写真6)滝宮神社(奥が拝殿)

写真6)滝宮神社(奥が拝殿)

写真7)随神門

写真7)随神門

Point 4

滝宮神社の北に隣接する小径を西に向かえば、すぐに、綾川に架かる赤い欄干が美しい滝川橋(赤橋)です。取材当日、綾川が濁っていたのは残念でしたが、この滝川橋を渡った先が道の駅「滝宮」になります。定休日である火曜日に取材したため、道の駅にある「さぬきうどんの駅」などを楽しむことはできませんでしたが、設置されている「滝宮の念仏踊り」の像や、さぬきうどん発祥の地と言われるご当地らしい、「あたたかいうどんを前にしたヤドン」が描かれている綾川町のポケモンマンホール(通称「ポケふた」)を確認できました。なお香川県においては、「うどん県PR団」として大活躍のヤドンが描かれたポケふたは、県内17市町村すべてに設置されているとのことですが、今回の取材は、高松市経由で訪れたことから、高松市のポケふた(高松築港駅から2つ目の瓦町駅近くに設置されています)も確認しましたので、末尾のAlbumに写真を掲載しておきます。

写真8)念仏踊り像

写真8)念仏踊り像

写真9)ポケふた

写真9)ポケふた

Point 5

道の駅「滝宮」から綾川の左岸側(西側)を上流(南側)方向に少し進むと、綾川の堤防沿いに「金毘羅灯籠(自然石造り)」があります。金毘羅灯籠は、金刀比羅宮への参拝者(特に夜の行者)が道に迷わず無事に参拝できるように設けられていたもので、旧綾南町(りょうなんちょう。綾上町と合併して現在は綾川町になっています)に、自然石造りのものはこの灯籠を含めて十基、彫刻によるものも十基あるとのことです。なお、この灯籠は、旧綾川町が後世に残す遺産として移設してきたものとのことです。

写真10)金毘羅灯籠(自然石造り)

写真10)金毘羅灯籠(自然石造り)

Goal

金毘羅灯籠からさらに少し進むと県道282号に至りますが、この県道が綾川を跨ぐ橋が今回のGoalである滝宮橋です。滝宮橋は上路式鉄筋コンクリート開腹アーチ橋で,滝宮神社側(高松側)を3径間のアーチ橋とし,反対側(琴平側)を2径間のコンクリート桁橋(T桁)としています。橋長は91.5mで,アーチ橋部分は67.5m(支間長22.5m)、桁橋部分は24.0m(支間長12.0m)となっています。また、スパンドレルが連続する縦長の小アーチ、アーチリブの断面変化、アーチリブ基部と柱頭部、桁橋の門型橋脚等、意匠は工夫され、美しく仕上がっています。さらに,高欄部にも凸型模様の装飾や灯籠型の親柱もあり、金毘羅街道の宿場町である滝宮を十分意識した、美しい橋となっています。ただ滝宮橋の全景を綺麗に撮影できるスポットが見つからなかったのは残念でした。また、交通量の増加等により、昭和45年(1970年)年に橋下流側に鋼鈑桁の歩道橋が隣接して架設され,下流側の親柱は撤去され,現在は上流側のみとなっているのも、少し残念でした。なお、冒頭に掲載した土木学会の銘板は、橋の下流左岸側(琴平側)の歩道橋の石柱に設置されていました。

写真11)T桁

写真11)T桁

写真12)親柱と高欄の凸型模様

写真12)親柱と高欄の凸型模様

Topics

今回は、香川県綾川町にある滝宮橋を訪れました。今回の行程は、道の駅「滝宮」に設置された「滝宮てくてくMAP」に記載されている通り、こじんまりした範囲の行程です。滝宮の地は、渓谷の手前で水が集まる場所という地形的な条件のほか、地質が花崗岩ということもあり、収穫した小麦を粉にするための水車を造るのに絶好の場所であったことも、うどんづくりが盛んになった大きな要因とされており、かつて滝宮周辺には30を数える水車小屋があったとも言われています。なお、今回は行きそびれましたが、滝宮橋の上流(南側)150mほどのところに歩道橋が架けられており、そこは昔、滝宮橋が架けられる前に、金毘羅街道のルートであったところで、綾川を渡るための安益橋(あやばし)が架けられていたとのことです。現在の歩道橋から、綾川の花崗岩の岩盤に丸く空けられた、安益橋の橋脚跡を見ることができるとのことですので、少し足を延ばして見に行くこともお勧めです。

滝宮橋

今回は残念ながら天候に恵まれませんでした。快晴の時であれば、綾川の水も澄み、もっときれいで、落ち着いた静かな環境と歴史がより深く感じられたと思われます。滝宮は高松市から「こんぴらさん」にお参りする途中に位置します。今では知らない人がない「さぬきうどん」ですが、全国に広まっていったのは、「こんぴら参り」の人々がこの地を通ったおりに「さぬきうどん」を食べ、その美味しさを地元で伝えたことによるとも言われています。また、昭和45年(1970年)に開催された大阪万博のブースで、讃岐うどんが手打ち実演により来場者に振る舞われ、その「コシの強さ」と「味のよさ」が全国からの来場者に認知されたことにより、さぬきうどんのブームが起き、全国区になったとも言われています(6か月間183日間の万博開催期間において、延べ約160万食の販売があったとも言われています)。「こんぴらさん」を訪れる機会にはぜひ、「さぬきうどんの発祥の地」とも言われる滝宮に途中下車していただけたらと思います。

Album(※)写真をクリックすると全体をご覧いただけます

  • 近代化産業遺産 認定証

    近代化産業遺産 認定証

  • 本殿

    本殿

  • 牛の像

    牛の像

  • 滝宮念仏踊りの碑

    滝宮念仏踊りの碑

  • 国分石

    国分石

  • 滝川橋(下流左岸より)

    滝川橋(下流左岸より)

  • ポケふた(高松市)

    ポケふた(高松市)

Map

地図

地理院地図をもとに当財団にて作成

【今回歩いた距離:約 0.8 km 滝宮駅 ~ 滝宮天満宮 ~ 龍燈院跡 ~ 滝宮神社 ~ 道の駅「滝宮」 ~
金毘羅灯籠 ~ 滝宮橋】

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