土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成27年度(2015年度) |
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所在地 | 香川県木田郡三木町平木~三木町鹿伏 |
竣工 | 明治44年(1911年) |
構造形式 | 3径間連続アーチ橋 |
選定理由 | 明治末期に架けられた鉄道橋で、将来の軌道の複線化を見込んだ「階段状練石積み橋脚」という、希少な特徴を持つ土木遺産である。 |
まずは、「高松市立玉藻公園(史跡高松城跡)」(入園料が必要)を訪れます。高松城は玉藻城という別名がありますが、これは万葉集で柿本人麻呂が「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによると言われています。この高松城は、瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだ平城(水城)で、愛媛県の今治城、大分県の中津城とともに、日本の三大水城に数えられています。このPoint-1では、玉藻公園内の主な見どころを紹介します(園内案内図は以下のURLをご参照ください)。
http://www.takamatsujyo.com/annaiheimennzu.htm
『天守台』
築城当初は3重の天守だったそうですが、徳川家康公の孫で、水戸藩主徳川光圀公の兄である松平頼重公が寛永17年(1640年)に入城した約30年後に3重5階(3重4階+地下1階)の唐造り(南蛮造り)に改築され、四国最大の規模を誇っていたとのことです。天守は老朽化を理由に明治17年(1884年)に取り壊されてしまいましたが、英国ケンブリッジ大学図書館で明治15年(1882年)撮影の天守の鮮明な写真が発見されること等により、天守の再現に向けて期待が高まっているとのことです。
『鞘橋』
天守台がある本丸跡と二の丸跡を結ぶ内堀に架かる唯一の橋で、本丸への唯一の登城ルートになっており、いざというときには、この橋を落とすことにより本丸だけを守ることができる形になっています。当初は欄干橋と呼ばれ、屋根のない橋だったとのことですが、江戸時代中期末頃には現在のような屋根付きの橋になっていたとのことです。現在の橋は切妻造りの屋根で銅板葺き、そして切目のない腰板の付いた珍しい木橋で、明治17年の天守解体時に架け替えられたものだそうです。また大正時代には橋脚が木製から石製に替えられたとのことです。
『水門』
高松城の北側はもともとは海でしたが、明治時代の度重なる築港工事に伴う埋め立てにより、現在は海と接しないようになっています。ただ、堀と海は、城の北側を通る国道30号の下にある水路でわずかに繋がっているため、潮の干満に伴う堀の水位の調整を行う必要があり、二の丸跡から東側の三の丸跡に繋がる通路の下に水門が設けられています。この水門の内堀側では鯛等の海の魚が泳いでおり、鯛のエサやり体験や、和船による内堀遊覧もできます。(水深の浅い堀で泳ぐ鯛は日光を浴びてしまう関係からか黒い鯛でした。また内堀遊覧の和船からでないと鯛のクリアな写真の撮影は難しいと感じました。)
『月見櫓(つきみろ)・水手御門(みずてごもん)・渡櫓(わたりやぐら)』
北の丸の隅櫓(すみやぐら)である月見櫓は、出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「付見櫓」と表記されることもあります。総塗籠(そうぬりごめ)造りの3重3階、入母屋(いりおもや)造り、本瓦葺の見事な櫓です。月見櫓に連なる水手御門は、船からここを通って直ちに城内へ入れるようになっていたことから、海の大手門の役割を果たしていたと言えます。月見櫓から水手御門、渡櫓に至る一連の構造美は一見の価値が十分あります。
『披雲閣・桜御門』
三の丸に位置する御殿である披雲閣は、松平藩の政庁及び藩主の住居として使われていたそうですが、老朽化により明治時代に取り壊されたそうです。その後、大正6年(1917年)に現在の披雲閣が完成したそうです。142畳の大書院をはじめ、上品な風情のある部屋がいくつも造られており、現在は貸会議場などとして利用されているとのことです。この披雲閣の正門にあたる櫓門が桜御門で、昭和19年(1944年)に国宝(現在の重要文化財)に指定されることが内定していたそうですが、昭和20年(1945年)の高松空襲によって焼失した歴史を持っています。焼失後77年の時を経て、高松市が現地に復元整備したのが現在の桜御門です。門に付けられた幔幕は、白麻地に紺色の桜紋の他、3種類あるそうです。
なお、披雲閣、三の丸跡には見事な松が多数あり、「日本一を誇る高松の松盆栽」と記された看板には「全国の黒松、五葉松の盆栽の大半、錦松の大部分が高松で生産されるまでに発展しています」との記載がありました。
『艮櫓(うしとらやぐら)・旭橋・旭門・桝形(ますがた)石垣』
公園の南東に位置するのが艮櫓ですが、この櫓はもともと城の北東の隅櫓として、月見櫓と同時期に建てられたもので、北東の方角のことを丑寅(艮)ということから名づけられたと言われています。この3重3階、入母屋造、本瓦葺きの隅櫓は、2階と3階に城内側にも銃眼を設けるなどの特徴が見られるものです。昭和25年(1950年)に重要文化財に指定されています。現在の艮櫓は、解体修理を行った昭和42年(1967年)に、現位置である旧太鼓櫓(たいこやぐら)跡に移築復元されたものだそうです。なお、この櫓のすぐ北側にある城内に入る橋が旭橋で、敵の直進を防ぎ、側面から攻撃できるように、堀に対して橋が斜めになっています。旭橋から城内に入る場所に位置するのが、大手門である旭門で、この門の内側には、切石の石型による桝形(石垣で囲まれた空間)があり、攻め込んだ敵を包囲するために造られたものと言われています。
瓦町駅から約15㎞を走る長尾線は、もともと高松電気軌道によって明治45年(1912年)に開業。昭和18年(1943年)に近辺の琴平電鉄、讃岐電鉄と合併し、高松琴平電気鉄道(通称ことでん)に社名を改めました。この時から長尾線と呼ばれ、今日に至ります。線路長などにおいて〝本線格〟ともいえる琴平線(File36参照)に比べて、のどかな四国の日常を味わうことができる長尾線。高松築港駅から揺られること40分、終点の長尾駅は、パステル調のレトロ駅舎で、まるでバルコニーを備えた一軒家のよう。長尾駅ができたのは明治45年(1912年)のことで、現在の駅舎はその佇まいから、歴史ある駅舎を改装したものかと思いきや、実際には明治の洋風建築を意識して、昭和61年(1986年)に改築されたものだそうです。改札を出て振り返ると、出入口上部のガラス窓には、開業当時から駅正面に掲げられている高松電気軌道の社紋が刻まれています。ぜひ探してみてください。
長尾駅の目の前の大通りを東へ2、3分歩けば、弘法大師空海ゆかりの霊場をめぐる「四国遍路」第87番札所、長尾寺に着きます。まず、仁王門にデンと吊るされた鐘と、4mほどある大きなわらじが目につきます。仁王門をくぐれば、広々とした敷地に、ゆったりと本堂、大師堂、護摩堂と常行堂が立ち並んでいます。この寺は、正式名称を「補陀落山(ふだらくさん)観音院長尾寺」といい、奈良時代に行基(ぎょうき)がこの地を訪れ、柳の木で聖観音菩薩像を刻み、本尊として安置したことが始まりとされています。今日まで「長尾の観音さん」と広く信仰を集めて親しまれています。
本堂横にある静御前剃髪塚も、見どころの一つです。その昔、吉野で源義経と別れた静御前が、失意のうちに母・磯禅師とともに故郷の讃岐の地へ戻り信仰の旅に出た末にたどり着いたのが、この長尾寺であり、二人が得度剃髪した遺髪が祀られています。
長尾駅に戻り、再び長尾線に乗って、いよいよ「新川橋梁」最寄りの学園通り駅を目指します。まずは長尾駅ホームから、線路の先(左方向)、高松築港方面をのぞいてみてください。晴れていれば、わずか数百mの位置に、隣の「公文明」駅が見えます。天気がよく時間があれば、一駅分歩いてみるのもおすすめ。それにしても「公文明」駅、難読駅名の一つとしてしばしば話題になりますが、皆さんは読めますか。(正解は、Topicsにて。)
さて、学園通り駅へ。晴れていれば車窓から、讃岐七富士の一つともいわれるおむすび型の美しい白山(しらやま)を仰ぎ見ることができます。学園通り駅は、長尾線の駅の中で最も新しい駅とあって、周囲は比較的新しい建物が多く、買い物にも便利なロケーション。駅を出て、線路沿いを平木駅方面に少し歩けば、今回の目的地・新川橋梁に着きます。新川橋梁は単純桁橋で、完成時は木橋でしたが、大正期後半に鉄桁に架け替えられたようです。完成から数えて113歳の〝ご長寿〟ではあるものの、鉄道橋として今なお現役で活躍しています。
一番の特徴は、橋脚の片側(下流側)が階段状の石積みになっている点。残念ながら、現在に至るまで長尾線の複線化は実現していませんが、将来的な複線化による増築を見据え、既存の橋脚をうまく活用できるようにと、当初からあえて半分を残した状態で積まれた様です。下流側の橋台の端が余っているのも、その表れでしょうか。近付くと、主桁はI形鋼が2本、ボルトで橋脚に固定されているのが分かります。
今回は天候に恵まれず残念でしたが、晴れていれば川の水が澄み、川面に新川橋梁の勇姿と長尾線の車両が美しく映えそうです。沿線には同様に、路線の複線化を見据えた階段状の橋脚が特徴の「鴨部川橋梁」(公文明~長尾間)もあります。おだやかな讃岐平野をのぞむ四季折々の風景を楽しみながら、こちらも機会があれば訪れてみてください。
時間に余裕があれば、ことでん全線に乗車できる「1日フリーきっぷ」(大人1400円)を購入し、「滝宮橋」(File36)まで足を延ばしてみては。玉藻公園では、鯛のエサやり体験もお忘れなく。自販機でエサ入りカプセルを購入し、鯛がエサを食べてくれれば、見事〝鯛〟願成就だそうです。
(※「公文明」駅の正しい読み方、正解は「くもんみょう」です。)
地理院地図をもとに当財団にて作成
【今回歩いた距離:約2.7km)+(電車1時間20分)玉藻公園~高松築港駅~長尾駅 ~長尾寺~ 長尾駅 ~ 学園通り駅~新川橋梁】
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