土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成20年度(2008年度) |
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所在地 | 岡山県備前市 |
竣工 | 明治23~24 年(下り線)、明治44 年(上り線) |
径間 | 小屋谷川橋梁(2.71m) 三石金剛川橋梁(6.10m:4連) ※ 長さ28.30m 野道架道橋(2.44m) 三石避溢橋(6.10m) 三石架道橋(6.10m) 寺前川橋梁(2.44m) |
選定理由 | 技術的にも意匠的にもすばらしい煉瓦拱渠が、連続して現存し、山陽本線という幹線でありながら原形を保ったまま使用されている。 ※ 拱渠とは土手を築いて線路を敷設するとき、その下に従来の道路や川を通すためにつくるアーチ状の橋梁のこと |
今回の歩いて学ぶ土木遺産は、兵庫県境に位置する岡山県備前市三石にある煉瓦拱渠群です。最寄り駅はJR山陽線の三石駅で、今回の行程は、ここをStartとしますが、煉瓦拱渠群は現在も使用されていることから、基本的に山陽線の線路に沿って、認定された6つの橋梁を東(兵庫県側)から西(岡山市側)へ、三石駅から約1kmの距離を巡る行程になります。なお、備前市は、越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)とともに日本六古窯(にほんろっこよう)として日本遺産に認定された備前焼で有名ですが、この地に産出する蝋石(ろうせき。ロウのような質感(ろう感)や光沢をもつ緻密な軟質岩の総称)を基にした耐火煉瓦の生産地としても有名です。国内はもちろん、海外でも例がないほど、蝋石を多量に産していたそうです。実際に三石駅に降りるとすぐに、耐火煉瓦工場の煙突が眼に入ります。なお、三石耐火煉瓦の歴史は、耐火用途の需要を見越した加藤忍九郎翁が明治25年(1892年)に製造を開始したことから始まっているそうですが、最初の耐火煉瓦は、備前焼の登り窯で焼いたという記録があるように、この地が国内最大の耐火煉瓦の生産地となりえた大きな要因として、耐火煉瓦の原料である蝋石の一大産地であったこと、煉瓦を焼くための窯があったこと、という二つの要因があると言われています。
三石駅を出発して、最も東側に位置する小屋谷川橋梁に向かいます。この橋梁は三石駅の構内の東側に位置しています。徒歩数分の距離ですが、改札口から左側に見える小さな橋を渡った後、右に折れて川沿いに進み、少し先の人しか通れない橋を渡ってその先を左に進むと、目指した土木遺産の「小屋谷川橋梁」があります。この橋梁は「径間2.4m×高さ3.4m×長さ55.2m」の大きさですが、通している歩道と水路に勾配がついているため、内面構造の天井部が階段状に段差4層アーチで構築されていること、下り線側がカーブしていること、と構造的に変化に富んでいることが特徴です。
最初に三石駅前の橋を渡った地点から、三石駅方向と逆方向に西に進むと、耐火煉瓦の工場が幾つも道沿いにありますが、さらに進んで2つ目の角を左に曲がり100mほど進むと、冒頭の写真に掲載した、土木遺産の「三石金剛川橋梁」に着きます。この橋梁は、煉瓦拱渠群のなかで最大の規模を誇る4 連アーチの橋梁で、中央2連を金剛川が流れ、第 1 径間(東側)には道路、第 4径間 (西側)には金剛川と生活道が通っています。金剛川拱渠は煉瓦を基本にして坑門・側壁をイギリス積み、アーチ部分を長手積みで巻く一般的な構造で、各アーチの基部には花崗岩の隅石が付けられています。なお、山陽線の上り線は、下り線の敷設の約20年後に複線化のため造られたことから、下り線側はオーソドックスな赤レンガ、上り線側は焼過煉瓦と呼ばれる濃色の煉瓦と、異なる煉瓦が使用されています。一般的には、明治後期に焼過煉瓦が赤レンガに取って代わられていますので、この三石の拱渠群において、後年に増築された方に焼過煉瓦が使われているのは、少し不思議であるそうです。なお径間内部において、異なる煉瓦の接合部に継ぎ目の跡がアーチ状に確認できますが、これは三石の他の拱渠でも確認できます。なお、冒頭の写真で示した土木遺産の銘板は、第1径間の下り線側に設置されていました。また、この拱渠が現役である証として、拱渠上のJR山陽線を電車が通過している動画(約9秒)も撮影しましたので、ご覧ください。
今回訪れた煉瓦拱渠群は、煉瓦が使用された馬蹄形の拱渠であり、「手造り」感と歴史や落ち着きを感じさせるものでした。三石の町そのものも、令和4年度(2022年度)に(公社)日本ユネスコ協会連盟から「プロジェクト未来遺産」として登録されているように、「耐火煉瓦産業で栄えたまち」を感じさせる雰囲気がありますが、近くにも同じような落ち着きを感じさせるものとして、日本遺産でもある有名な特別史跡「旧閑谷(しずたに)学校」があります。同じ備前市内にあり、JR山陽線三石駅から岡山方面に一つめのJR吉永駅を最寄り駅としていますので、以下にその主な見どころを紹介します。一度は訪れてみたい閑静な学び舎ですので、時間に余裕がある場合は、ぜひお寄りください。(JR吉永駅から約3kmの距離がありますので、健脚でない方は、吉永駅から備前コミュニティバスをご利用されることをお勧めします(乗車時間は約10分。有料です。))
<旧閑谷学校>(入場料が必要です)
旧閑谷学校は、日本ではじめてとなる「庶民のための学校」として、寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光政が創建した学校で、平成27年(2015年)に「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」として日本遺産に認定されています。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社など、ほとんどの建造物が国の重要文化財に指定されています。特に講堂は、旧閑谷学校を代表する建築物で、独特で壮重な外観となっています。元禄14年(1701年)の建築と伝えられ、当初は「茅葺き」でしたが、その後の改築により現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられたそうです。内部は十本の欅(けやき)の丸柱で支えた内室と、その四方を囲む入側(いりがわ。1間 (けん) 幅の通路)となっており、拭き漆(木地に透けた生漆を塗っては布で拭き取る作業を繰り返し、木目を生かして仕上げる技法)の床は、明かり採りのために設けられた、上部が丸みを帯びた火灯窓から入る光をやわらかく反射させています。なお、漆のふき替えや床の張り替えは、竣工以来、一度も行われていないそうです。
また孔子像が安置され、孔子の徳を称える聖廟の正門(鶴鳴門(かくめいもん))も見事で、備前焼の本瓦葺きの屋根で、棟に鯱を載せています。旧閑谷学校の校門でもあり、学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀(せきへい)とともに、旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。なお、石塀は、形の違う石を精緻に組み合わせ、滑らかな曲面に仕上げられており、完成から300年以上を経た今も石のずれや狂いがほとんどなく、石の隙間に草木1本生えていません。また、地表とほぼ同じ高さの石が地中に埋め込まれているので、重さで沈み込むことがなく、美しい姿を保ち続けています。
地理院地図をもとに当財団にて作成
【今回歩いた距離:約 1 km 三石駅 ~ 小屋谷川橋梁~ 三石金剛川橋梁 ~ 野道架道橋 ~ 三石避溢橋 ~ 三石架道橋 ~ 寺前川橋梁】
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