土木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
認定年 | 平成23年度(2011年度) |
---|---|
所在地 | 秋田県男鹿市 |
竣工 | 第一/大正3年(1914年) 第二/昭和5年(1930年) |
選定理由 | 外国貿易港へと踏み出す機能強化の中で施工された防波堤群は、間知石積み工法による大正・昭和初期の技術の面影を留める土木遺産です。 |
道を挟んで海側に船川港津波避難タワーが立っています。一般開放されているので、上から港や周辺を見渡すことができます。高さは11mで、男鹿駅屋上よりも高い所から眺められる穴場です。ここから寒風山の写真を撮り損ねたのが残念です。
避難施設や防災施設はいざという時に活用できないと意味がないため、平時から利用できるよう開放していることに感心しました。もう一工夫加えるとすれば、冬場に避難しなければいけなくなった場合に長時間寒風にさらされるのは厳しいので、通年利用できる設備を整備することを考えてもよいのではないかと思いました。しかし、地形的には丘陵が比較的近く、一時避難で活用すればよいというコンセプトなのかもしれません。
昭和58年(1983年)5月26日11:59に発生した日本海中部地震(M7.7)で発生した津波第1波が8分後に男鹿で観測されました。
【日本海中部地震(秋田地方気象台)】
https://www.jma-net.go.jp/akita/data/saigai/saigai_tyubu.html#higai
この地震による死者104名のうち100 名が津波によるものでした。「港湾工事関係者が41名、釣り人が17名、遠足の小学生が13名と多いのが特徴」でした。この津波被害が気象庁の津波警報迅速化のきっかけとなったことは忘れてはいけない教訓でしょう。
【津波来襲時に生死を分けた要因-日本海中部地震津波を事例として-】
https://www.tsunami.irides.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/shibu/shibu_old/14/kanata/kanata.html
津波避難タワーのすぐそばに、第一船入場防波堤の案内板が立っており、草むらの中にモニュメントが見えました。草をかき分けてたどり着くと、土木学会発行の土木遺産銘板をモニュメント側面に見つけました。銘板の設置場所を事前に確認せずに現地を訪れたので、発見できてうれしい気持ちになりました。また、事前の下調べでは第二船入場防波堤の位置はわかりましたが、第一船入場防波堤がどこなのかわからず、貨物軌道の西端かもしれないと思っていたので遠くまで行かずに済んでほっとしました。一方で、海がない埋立地の真ん中に「防波堤」跡がある意味がこの時点では理解できませんでした。
右手に県の港湾事務所を見ながら第一船入場防波堤から第二船入場防波堤に向かって歩いていると、第二船入場防波堤のある島に渡る橋が見えてくるところにある変則的な形状の交差点に土木遺産の案内板がありました。この先190mのところに第二船入場防波堤があるそうです。
その背後に大きな石碑があるのが見えたので回り込んでみると、鰰(ハタハタ)供養碑でした。先人が漁法を開発し、佐竹公に漁の許可を願い出て天保6年(1835年)に許可が得られた旨から書き起こされていました。ハタハタは藩の重要な財源となる干鰯原材料として保護されていて、一般の人には漁が許されていなかったようです。碑文の文字起こしをしてみました
【水産振興コラム第10回ハタハタをめぐる戦いの歴史】
https://lib.suisan-shinkou.or.jp/column/osakana-kuyo/vol10.html
碑文 鰰の由来は郷土の先覚者が佐竹義和公に一身を処して漁法の改良と漁の禁制を解かれる事を直訴して以来、世論の高まりと時代の推移の中で鰰漁の禁制が解かれたのは天保六年〇。〇(爾?)来鰰漁は飛躍的に〇〇(発展?)し、男鹿は其の主産地〇〇〇(となる?)。特に船川地区地先〇〇は荒天時にも恵まれ〇〇〇見る好漁場として〇〇を高め、秋田の風俗と〇〇の風土を代表する第一次産業の資源として地域経済発展に大きな役割を果たし現世に及んだ。然しながら最近国県市の総合開発計画に基づき鰰漁の財宝と誇る好漁場の一部消滅を見る現況に至った。我ら漁民はそうした長い間生活の貴重な財源として供給された鰰への恩謝の念を込めると共に幾多の先人への偉徳に深く感謝すべく、船川地区地崎護持会創立三十周年記念事業として鰰供養碑を建立すべく組合員相集い協議の結果碑建設委員会を発足させると同時に、船川港漁業協同組合の協賛更には県から建立地の御理解を戴き、遥か前方に大平山を仰ぎ男鹿の名山を背景にする北緯三十九度五十三分、東経百三十九度五十一分の現位置に達成する事ができました。無限の神の御加護により鰰漁不振回帰を願望し、先人の偉徳を称え此の碑を建立する。
注)写真から判読して文字起こしした。〇〇は陰で読み取れない部分。(〇)は文脈から推測。読みやすいように句読点を追加。
第二船入場防波堤が埋まっている埋立地への橋を渡り、先端まで行くと、色褪せた男鹿半島・大潟ジオパークの第二船入場防波堤の案内板がありました。海側を覗くと、HPでも見たことがある石積み防波堤を見ることが出来ます。一番の発見は、ジオパーク案内板の地図でした。この地図を見て、第一船入場と第二船入場の配置、第一船入場防波堤が埋立地の中にあった理由を理解できました。第一船入場とは、かつてあった駅側の埠頭泊地のことであり、防波堤と泊地は港の拡張によって埋め立てられ、現在はそこが道の駅駐車場や県の港湾事務所になっているのです。防波堤の間知石が寒風山から切り出されたものであることもこの案内板で知ることが出来ました。
帰りに橋の左側たもとに土木遺産プレートが貼られているモニュメントが設置されていることを発見しました。こちらのプレートは草むらの中にないので近づいてアップで撮影できました。
地理院地図をもとに当財団にて作成
①:Start,②~④:Point1~Point3,⑤:Goal1,⑥:Point4,⑦~⑧:Goal2
【今回歩いた距離:約 1.41 km】
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