土木遺産を訪ねて 最寄り駅から歩いて行ける土木学会選奨土木遺産を紹介。周辺の見どころ等、旅の参考にしてください。

木学会が平成12年に設立した認定制度──『土木学会選奨土木遺産』。顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、500件を超える構造物が認定されています。
コンコムでは、たくさんの土木遺産の中から、最寄り駅から歩いて行ける土木遺産をピックアップし、「土木遺産を訪ねて─歩いて学ぶ歴史的構造物─」を不定期連載します。駅から歴史的土木構造物までの道程、周辺の見どころ等、参考になれば幸いです。
みなさんも旅のついでに少しだけ足を延ばして、日本の土木技術の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。

File 41

船川港第一船入場・第二船入場廣井波止場
※3枚あると予想される土木遺産プレートは1枚も見つけることができませんでした。

【土崎港関連施設(つちざきこうかんれんしせつ)/秋田県秋田市】

竣工年 廣井波止場:明治35年(1902年)
南防波堤:昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)
雄物川放水路:昭和13年(1938年)
選奨年 2007年 平成19年度
選奨理由 波止場や防波堤による港湾の近代化を図るとともに、洪水対策として放水路を整備し、工事で生じた土砂を用いて工業地帯を整備した。

Start 1

土崎駅、JR東日本秋田総合車両センター
今回の歩いて学ぶ土木遺産前半は、JR土崎駅から土崎港にある選奨土木遺産「廣井波止場」をめざす行程です。
土崎駅舎は比較的新しい建物で、駅前通りも広くなっています。

写真1)土崎駅舎

写真1)土崎駅舎

奥羽線土崎駅の秋田側には近江谷榮次氏が誘致に尽力した鐡道院土崎工場があります。秋田市と土崎港町とが鐵道院工場を自分の土地へ建設してもらうために猛烈な競争をしました。その時に土崎町は、「何か特種な条件があればその猛烈な競争に勝てるというので協議の結果、近江谷氏の名をもって認可を得てある岩見川発電所の権利を、土崎のために近江谷氏が無償で提供することにしました」。その結果、「鉄道省が鐵工場を土崎へ建設することに決定した」と土崎発達史は伝えています。

【近江谷 栄次 先見性豊かな経世家】
https://akitahs-doso.jp/libra/14

【参考文献:復刻版 土崎発達史,今野賢三編,当初版昭和9年12月25日発行・復刻版平成2年5月25日発行】

鐡道院工場の敷地を訪れてみると、「JR東日本秋田総合車両センター」と看板が掲げられていましたので、今も現役のようです。

写真2)現在の鐡道院工場「JR東日本秋田総合車両センター」

写真2)現在の鐡道院工場「JR東日本秋田総合車両センター」

Point 1

土崎神明社・湊城跡
駅前通りを港に向かって歩くと土崎神明社に着きます。ここは、湊城跡でもあります。湊城とは、関ケ原合戦後の慶長7年(1602年)に常陸の国から国替えを命じられた佐竹氏の前の領主秋田氏の居城です。秋田藩初代の佐竹義宣公が現在の秋田市内にある久保田城を築く(慶長8年(1603年)5月築城開始、翌年8月初代義宣公入城)までの間、本拠地にしていたそうです。湊城は破却されました。

写真3) 湊城跡にある土崎神明社

写真3) 湊城跡にある土崎神明社

訪れてみると、立派な神社があり、多数の石碑やD51のSL車輛もあります。入口の案内標に湊城跡とあるのは見つけましたが、道路に面して控えめに設置されている湊城跡説明板は見逃してしまい撮影し損ねました。

写真4) 湊城跡の公園にあるSL・D51

写真4) 湊城跡の公園にあるSL・D51

Point 2

土崎みなと歴史伝承館
駅前通りと国道7号線の交差点をわたり左に折れて1ブロック歩くと、土崎みなと歴史伝承館があります。建物の国道7号線側がガラス張りになっており、巨大な山車が見えます。中に入ると、北前船の模型があり、土崎港の歴史がパネルで説明されています。少し奥に入ったところに巨大な山車があります。背が高く華やかで、湊町の繁栄ぶりがうかがえます。

写真5)土崎みなと歴史伝承館

写真5)土崎みなと歴史伝承館

写真6)道路からも見ることができる巨大な山車

写真6)道路からも見ることができる巨大な山車

私は帰ってから知りましたが、この伝承館には昭和20年(1945年)8月14日の土崎空襲の展示もあり、攻撃目標であった日石製油所の被爆倉庫のコンクリートが移設されており、爆撃で溶けたコンクリートの実物に触ることができるそうです。この展示を見逃したのは残念でした。

【秋田市土崎みなと歴史伝承館 土崎空襲の記録】
https://tuchizaki.com/airraid/

Point 3

道の駅 あきた港 ポートタワー・セリオン
道の駅あきた港には高さ100mから秋田港や市街地を一望できるポートタワー・セリオンが建っています。ポートタワーのエレベータ入口へのアプローチ部に、土木遺産である南防波堤、土木遺産ではありませんが全国的にも例が少ない沈艦防波堤(パネルでは軍艦防波堤)についての説明パネルがあります。

写真7)展望台エレベータ入口にある説明パネル

写真7)展望台エレベータ入口にある説明パネル

エレベータで展望台に上ると、全面ガラス張りの壁面から秋田港の姿がよく見えます。土木遺産の南防波堤は歩いていける距離ではありませんし、関係者以外入れないでしょうから展望台から遠望するしかありません。軍艦防波堤も近づける場所ではありませんし、そもそも大部分撤去されているので、これも展望台から見学するのがベストです。
築港経緯をあらかじめ頭に入れて脳内VRすると、より感慨が深まるのではないかと思いました。私は、帰ってきてから築港経緯の詳細を整理したので、少し残念でした。
タワーからフェリー乗り場、クルーズ・ターミナルがある中島埠頭がよく見えます。フェリーやクルーズ船が停泊しているとより施設整備の効用を実感できるのだろうと思います。その先に廣井波止場の石積護岸が残っている場所があるはずです。その背後は日石製油所があった場所で、現在は円筒型の石油タンクが見えます。訪問した日は晴天だったので、男鹿半島や南防波堤、風力発電施設群を見ることができました。

写真8)展望台から見た秋田港

写真8)展望台から見た秋田港

Goal 1

廣井波止場石積み護岸
ポートタワーを降りて臨港道路を港口側に歩くと、クルーズ・ターミナルまでは歩道があります。その先は港(泊地)側には歩道がないので自動車に気を付けながら歩かなければいけません。埠頭が尽きるところの先が廣井波止場石積護岸残存箇所になります。埠頭に入らせてもらうと、石積み護岸を見ることができます。背後のかつての日石製油所にある円筒型石油タンクも大きく映ります。学会HPにも掲載されている写真とほぼ同じ画角で撮影できました(冒頭に掲載している写真です)。

Start 2

後半は雄物川放水路関係です。秋田駅西口からバスに乗り、茨島4丁目バス停で降りました。バス停がある場所は放水路掘削土で造成されました。放水路事業の経緯と整備の波及効果については秋田河川国道HPをご覧ください。

Point 4

雄物川放水路新屋水門
雄物川と旧雄物川をつないでいるのが、新屋水門です。前日も雨が降っており雄物川の流量が比較的多い日だったのだと思いますが、結構な流量が勢いよく旧雄物川に流れこんでいました。平成19(2007)~21(2009)年度に特定構造物改築事業により改築されており、1)旧雄物川へ維持流量の分派、2)市街地側への洪水の遮断、3)舟通し、4)秋田市道割山南浜線と兼用の4つの機能を持っています。函体吐口側の胸壁右上に、3)の機能を裏付ける通航者への注意喚起看板(昭和45年(1970年)12月26日付)がありました。門柱レス構造の油圧引上げ式ゲートを採用しており、景観上も周囲に調和するよう配慮されたデザインになっています。

【河川事業事後評価 雄物川下流特定構造物改築事業(新屋水門)】
https://www.thr.mlit.go.jp/yuzawa/01_kawa/gakushikikon/8th/pdf/08-03-03.pdf

写真9) 新屋水門 旧雄物川側

写真9) 新屋水門 旧雄物川側

写真10) 舟航者への注意喚起板

写真10) 舟航者への注意喚起板

旧雄物川(秋田運河)側には水防用の土砂保管機能も兼ねている三角沼公園が整備されており、ゲートボールを楽しむ方々がおられました。この水門が上下流の土堤と一体となって旧雄物川と仕切る堤防機能を発揮しますが、この区間の堤防は断面拡幅区間であり、市道と兼用されている天端上は歩道も両側にあって安心して歩けます。
昭和13年(1938年)の放水路通水式では仮締切を爆破しており、通水爆破には約4万人の観衆が集まったそうです。爆破時の迫力ある写真とムービーを秋田河川国道事務所のHPで見ることができます。

放水路で分断された酒田街道は、秋田大橋を架橋して機能を引き継ぎ国道7号となり、昭和16年(1921年)の新屋町,秋田市,土崎港町の3者合併につながりました。現在の国道7号は放水路最下流に移り秋田大橋は県道となりましたが、現在も茨島工業団地前を通る幹線道路です。

Goal 2

雄物新橋・雄物川放水路
次に、放水路の最上流に架かる橋、雄物新橋を訪れました。名前は“新橋”ですが、トラス構造の桁でできたベテラン感のある橋です。国土地理院の1960年代空中写真では建設中の状況が写っています。放水路開削後に新たに架けた橋かと思い、ネットで検索すると、ヨッキれん/平沼義之/山さ行がねが 解説編サイトでこの橋が歩んだ苦難の道のりが整理されていました。ご一読いただくと理解が深まると思います。2002年と2014年の現地訪問レポートも丁寧に説明されていますのでお勧めです。検索して探してみてください。
この橋は放水路とともに建設されました。Point4で紹介した秋田河川国道事務所HP内の【雄物川放水路通水70周年】の爆破通水時写真に写っている橋が初代の雄物新橋です。放水路新規開削に伴う羽州街道(酒田街道)の付替えは、上流の秋田大橋架設がその役割を担いました。
私が理解したところでは、この雄物新橋は放水路建設で左右岸に分かれてしまう新屋町の、左岸側と右岸側新開地を結ぶ地域の橋であったようです。現地を訪れた際、歩道が狭いな・自転車とすれ違えないのではないかと思いました。しかしこの橋の経緯を理解した今は、“山さ行がねが”サイト解説編の「・・今どき6mは狭いとか、そもそも車重制限14トンはしょぼいなんていうのは、この橋の歩んで来たイバラの道を知ったら口にできない贅沢じゃないか」というコメントに共感します。幸い私が橋にいた間にすれ違った人や自転車はありませんでした。自転車は秋田大橋を使っていると思われます。
すれ違いの為だろうと思いますが、橋脚上では歩道の幅員が広くとってあり、ゆっくり放水路を眺めることができます。橋の下流にある床固に使われている中詰砕石が古そうだったので、放水路開削時のものではないかと現場では思いましたが、経緯を知った今は河床・低水路安定化策として補強した構造物と推察します。

写真11) 雄物新橋 上流左岸から撮影した遠景

写真11) 雄物新橋 上流左岸から撮影した遠景

写真12) 雄物新橋歩道

写真12) 雄物新橋歩道

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  • 土崎駅前道路

    土崎駅前道路

  • 「鐵道院工場」の現在の看板

    「鐵道院工場」の現在の看板

  • 土崎みなと歴史伝承館に展示されている北前船模型

    土崎みなと歴史伝承館に展示されている北前船模型

  • 土崎湊の繁栄を感じさせる山車

    土崎湊の繁栄を感じさせる山車

  • 新屋水門 本川側 近代的な油圧式ゲートとスクリーン

    新屋水門 本川側 近代的な油圧式ゲートとスクリーン

  • 新屋水門 本川側 可動式流木止めと操作台

    新屋水門 本川側 可動式流木止めと操作台

  • 新屋水門上の堤防天端 市道と兼用 歩道も十分な幅確保されている

    新屋水門上の堤防天端 市道と兼用 歩道も十分な幅確保されている

  • 雄物新橋下流の床固箇所の早瀬

    雄物新橋下流の床固箇所の早瀬

  • 雄物川放水路 奥は新国道7号橋 手前に床固工の割石が見える

    雄物川放水路 奥は新国道7号橋 手前に床固工の割石が見える

  • 雄物新橋から見た上流の秋田大橋

    雄物新橋から見た上流の秋田大橋

Map

地図

左:土崎港順路,右:雄物川放水路順路 地理院地図をもとに当財団にて作成

【今回歩いた距離: 土崎港:約3.5km, 雄物川放水路:約1.5㎞】
①Start1, ②Point1,③⑤Point2, ④~⑧Point3,⑧Goal1,⑨Point4,⑩Goal2

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