2016/04/27
日本の災害とこれからの防災について官民の専門家が集って意見交換を行う場「これからの日本を考える懇談会」が防災をテーマに開催されています。『コンコム/防災を考える』では、懇談会において取り上げられたテーマのうち、建設技術者の業務に関わるであろう話題について内容を再編集して掲載します。
「防災を考える/第五回」では、下水道と防災について震災復興・雨水管理・内水氾濫・老朽化対策の4回に分けて紹介。第1回として、懇談会において国土交通省 水管理・国土保全局 下水道部流域管理官 加藤裕之氏が発表された「東日本大震災における下水道施設の被害と対応」を再編集してお届けします。
2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災は、5年を経過した現在でも東北地方に多くの爪痕を残している。東北地方太平洋沖地震と、それに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害によって被災した下水道施設の復旧に、現地リーダーとしての役割を担った。本稿では、東日本大震災における下水道施設の被害と緊急措置での対応事例と対応過程で得られた教訓を紹介する。
国土交通省水管理国土保全局下水道部には直轄事業がなく、大災害があった場合に直轄の大きな力を使うことができない。そのために全国の下水道関係者とチームを組み、被災地支援を行うというルールがある。
私はこのチームの技術支援のリーダーとして、全国から集まった下水道関係者と協力し、3月14日から2ヶ月間現地支援を行った。本報文は、私が体験した最初の7日間の仕事である。
仙台市東部の海岸沿いにある南蒲生浄化センターは、仙台市で発生する下水処理の70%をカバーする仙台市最大の処理場である。
写真1は、震災当日、4階建て管理棟の屋上に職員が避難している模様を撮影したものである。あまりに衝撃的な写真で海外の水関係の雑誌“WATER”の表紙になったものである。地震の後、職員の一人が建物のそばを流れる川の水位変化に気づき、1階の事務室から避難したため、犠牲者を出さずに済んだ。避難は1日で、翌日には全員が屋上から降りることができた。
写真2は、被災2日目の廃墟のような南蒲生浄化センターの様子である。機械設備もほぼ全滅。被害算定額は約400億円と見積もられ、日本の公共施設1カ所の被害額としては史上最高額となった。
写真3は、津波が直撃して壊れた処理場の壁で、土木学会からも調査にこられたものである。壁の奥には梁があったが、それも曲がっており、ある学会の先生は「壊れたと見るか、津波に耐えたと言うべきか」と発言されていた。この構造物は津波を想定して建造されたものではないが、重力があるため津波に流されずに済んだ。
下水道には全国に応援に行く文化(災害時支援ルール)があり、東日本大震災では被災直後に新潟市、大阪市、名古屋市が支援要請を受けることなく被災地に出発した。
支援調整チームは3月13日に設置され、名古屋市は岩手県、大阪市は宮城県、新潟市は仙台市、神戸市は福島県の支援本部となり、そこに全国の自治体等から応援を募り、6月1日までで延べ6,575人が派遣された。これ以外に現場の第一線で災害復旧にあたった民間ボランティアの方の数は、その10倍以上はいたと想定される。
自治体の方々にしていただく主な仕事は、マンホールの蓋を一つずつあけ、内部点検、破損状況の確認をしてもらうことであった。破損している場合には、テレビカメラを入れて確認し記録・保存する。その記録が災害査定の材料となった。管が破損して汚水が流れない所は仮設ポンプを設置し、応急処置をしていく。これらは全てチームを組み人海戦術で行うしか方法がなく、東日本大震災では被害が広範にわたっていたため、膨大な数のマンホールの検査が必要であった。
「授援力と受援力」とは、JR福知山線での脱線事故や東日本大震災で救急救命にあたった医師から聞いた言葉で、災害復旧には授援力と受援力の二つが必要なのだという。つまり、「授ける側(機械数や支援人数など)」と「受ける側(被災者側の受け入れる力)」とのバランスを考える必要があるということである。災害現場に多くの支援者が派遣され、機材が運び込まれても、支援者の寝場所の確保や機材置場の確保、また支援作業の振り分けなどに苦慮する場合がほとんどで、支援不要と断られる場合もある。
したがって、私の第1日目の仕事は応援団(支援者)の指令室の整備であった。写真4の場所は、国土交通省東北地方整備局が入る庁舎地下にある職員のロッカールームで、ここが支援活動のヘッドオフィスとなった。具体的な整備の仕事は、パソコンの準備、支援者名簿の作成、食料の調達、ガソリン確保、各地区担当を支援者の中に組み込むなどであった。特にガソリン確保は大変な問題で、雪の中徹夜でガソリンスタンドに並ぶ車の列が続いた。ガソリン携行缶は必須であった。
下水道復旧作業で大切なことは、優先順位をつけて作業を進めていくことである。第一優先は「適切な処理がなされていない汚水を川や海に流すルートの確保」である。街中で発生する下水を、壊れているパイプを繋ぎながら、川や海に排水することは大切なことである。東日本大震災における下水道配管の破損は、震度6以上の箇所で全長の5%前後であったが、これを処理場まで繋いでいけば、街中の汚水の排水はできるということである。
しかし、下水管の復旧には半年、1年と日数がかかるため、緊急措置により速やかに対応する必要がある。緊急措置の事例として仮設配管、土のうによる仮設水路、素堀水路+ブルーシート、固形塩素での消毒、バキューム車による汚水移送などがあった(図2)。ネットワークを確保したら、塩素剤を用いて消毒を行い、緊急放流を実施する。図3は簡易沈殿池による緊急措置の事例である。汚水は完全には処理されてはいないが、最低限の処置と理解して頂きたい。
災害復旧の場合、壊れないように建設した施設・設備をあえて壊すことをしなければならないこともある。写真5は、南蒲生浄化センターの放流ゲートである。東日本大震災発災時、このゲートは締まっていたため、ネットワークで汚水を流す際の障害物となってしまう。そこで、仙台市はいち早くこのゲートを壊す判断をして、水路を確保した。大船渡市でも同様なことがあり、既存の施設を壊し、汚水の氾濫を防いでいる。汚水を街中に氾濫させず、川までは持って行くためには、壊す勇気も必要になってくる。
津波により海側の市街地は壊滅していたが山側は残っていた。土地の高さが生死や建物の流失と生存の境目となったのである。このことは、下水処理場が機能していなくても建物が残り、通常の生活が営める場所からは汚水が排水されて来ることを意味している。そこで通常生活の汚水を処理するために、陸前高田市浄化センターとは別の場所にユニット型処理施設を設置し、通常生活を送る人々に対処した。このシステムは日本にはあまり無かったが、国内メーカーが中東の砂漠で使用していたシステムを活用したものであった。既設処理場とは別位置で処理をしつつ、本復旧は復興まちづくりを踏まえて決定していった。
下水道関係者にとって、管路応急復旧のスピードで意識すべきライバルは、水道である。下水道関係では逆流防止、汚泥処分先など連日仙台市と緊迫したやり取りが続いていた。この時、最大の問題は、水道の復旧スピードであった。水道が復旧すると当然下水が発生する。水道の復旧で帰宅できる人が増えるが、下水道が復旧していないと、どこかで汚水が街に溢れることになる。これを防ぐため、水道が復旧しても帰宅を禁じる辛い決断もあった。通常、水道の復旧は下水道より早い。水道の復旧状況を監視しながら、遅れないように下水道の復旧を行うことがポイントになってくる。
下水道は河川と違い、災害文化が育っていない。例えばライフラインの災害を伝える言葉として、電話がつながらない時は「○○世帯が不通」、電気の場合は「停電」、上水道は「断水」と表現されるが、下水道には「下水道を使えない世帯が○○世帯」という言葉がない。下水道関係者は、「○○本の下水管が壊れた・・・」という表現はするが、ライフラインを表す習慣や言葉がない。
これはライフラインとしての言語をもたない下水道の災害文化であり、施設を見て人を見ていないということになってしまう。壊れた施設の大きさではなく、下水管を使う側の人間に焦点をあてていく必要がある。
また、下水道は暮らしや社会経済を支えている財産であるが、人の目に触れる機会は多くない。公益社団法人日本下水道協会内に「下水道広報プラットフォーム(GKP)」を立ち上げ、運営委員長として「目に見えない下水道」の広報を実施している。是非一度ご覧いただきたい。
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