2016/09/29
いささか旧聞に属するが、コンピュータが世界最強棋士の一人(韓国イ・セドル九段)に勝ったというニュースは、われわれ素人碁打ちをも驚かせた。チェスや将棋でコンピュータがプロに勝っても驚かなくなっていたが、碁ではまだまだ人間にはかなわないと思っていた。これまでの認識では、コンピュータの棋力はせいぜい素人高段者どまりであった。聞けば、ディープラーニングだという、AI(人工知能)だという。なんだ、それは?
どうも人間が組んだプログラムで戦うものではないらしい。過去の棋譜という棋譜を覚え、のみならず自分自身との対局を何千万回と繰り返し、「自分」で「学習」して強くなるのだそうである。そういえばこのところ、新聞・雑誌でAIという言葉が出ない日はない。どうやらわれわれは、新しい時代の端緒にいるのかもしれない。そこで私も、自分の出会った「はじめて」たちを考えてみたい。
1971年(昭和46年)新入社員で配属されたのは設計部だった。当時、卓上計算機は課に1~2台。まだ計算尺と算盤も大切な計算手段であったが、私は不得手であった。まもなく、SHARPが個人用の「電卓」を発売する。2万数千円であったと思う。手取り3万8千円の所帯持ちには無理な買い物だった。ときどき同僚のを借りていた。1年もしないうちに価格は半分になり、今や1000円を切っている。電卓の登場によって、われわれは計算のために席を離れる必要がなくなった。
その10年後、2度目の現場勤務で私にパソコンが与えられた。OKI if800。プリンター一体型の当時のベストセラーである。研究所が開発した非接触型変位計測システムの運用のためであった。現場でパソコンを使ったのは、社内では私が初めてではないかと思う。その時会社にはすでに「計算センター」なる部署があり、大型計算機で技術計算もこなしていたが、プログラミングを勉強してこなかった私には縁のないところだった。
今ならエクセルの計算機能程度のことだが、自分でプログラムも組んだ。これなら俺にも使える・・・そのときの感動を部内報にこう書いた。「パソコンの使えない人は構造物の設計ができなくなります。5年後、1人1台のパソコンを装備していない技術者集団は、解散せざるを得ないでしょう。Noパソコン、Noビジネスです」(1983.9)
予言が実現するまで、それほど時間はかからなかった。
その現場は、会社にとっても「はじめて」の大型橋梁の現場であった。現場宿舎で寝食を共にした仲間との会話を覚えている。
「ナベさん、2000年前からあって、未来永劫なくならない職業は何だと思う?」
「いや、わからない」
「散髪屋だよ」
「なるほど。なら、ドボク屋もいい勝負かもな」
会話は続く。現場は国内初の工法で、毎日が「はじめて」の連続であった。社内に頼るところはない。
「俺たちは会社の歯車かな~」
「いやー、歯車にもなっていないだろう。ネジだよ、俺たちは」
「でも、一寸のネジにも五分の魂。ネジがなければ歯車だって外れてしまう」
閑話休題・・・AIである。新聞・雑誌の論調は、「労働力不足の救世主」であったり、「コンピュータが仕事を奪う」であったりする。「奪われる」仕事は、窓口業務や事務員、自動車や建設機械の運転手などなど。いちいちもっともである。弁護士などの士業も代替可能らしい。確かに、夥しい数の判例を元に判断を下すのは囲碁より楽かもしれない。医師が入っていないのが不思議なくらいである。患者の顔色も見ないで、体にさわりもしないで、検査結果だけを元に診断する医師なら、AIの方が確かだろう。
マスコミの見立てでは、代替可能職業の中に土木技術者は含まれていない。ではあるが、われわれは今こそ自分の足許を見るべきときだろう。自分の仕事はコンピュータやロボットに置き換わることができるかどうか。「俺には永年の経験があるから」などと安心してはいけない。一人の経験など何ということはない。テキは、何万人の経験を学んで判断を下せるのだ。
AIには創造的業務ができないであろうことは容易に想像できる。例えば、斜張橋(1960代~)やNATM工法(1970代~)のようなブレークスルーを生み出すことはできないだろう。これらは文字通り建設のカタチを変えた。しかし、われわれの大多数はこのような創造的業務に関わっているわけではない。地道に目の前の仕事をこなしているだけだ。それをいかに創造的にこなすか、それがわれわれとAIの差かも知れない。前回引用した鹿島守之助の言葉は、今も未来も生きている。
「『旧来の方法が一番いい』という考えを捨てよ」(1936)
◇
【コンコム編集局より】
半年にわたってご寄稿いただいたエッセイ「建設つれづれ窓」の連載は、今月でひとまず終了となります。
コンコム読者から非常に人気の高いコンテンツであり、また、現場でいろいろな課題に直面している技術者の皆様に、日々の「心構え」のヒントになるエッセイとしてご支持いただいていることから、不定期の掲載になるかと思いますが、渡辺氏のご協力を得て今後も掲載したいと考えています。引き続きご期待ください。
尚、掲載時には、会員の皆様にはメルマガを通じてご紹介させていただきます。
渡辺泰充:1948年生まれ。1971年清水建設(株)入社。2000年土木技術本部長。2010年同社退職。ベトナム・南北高速道路ホーチミン-ゾウザイ間レジデントエンジニア、2014年東京大学大学院社会基盤学専攻特別顧問、2015年ベトナム・ベンルック-ロンタイン高速道路JICA区間プロジェクトマネージャー。同年末退職。
おもな著作:「疑問に答えるコンクリート工事のノウハウ」(共著、近代図書)、「つれづれ窓」(東京図書出版会)、「サイゴンつれづれ窓」(「橋梁と基礎」連載)、「土木工学実践講座」(非売品、東京大学コンクリート研究室)
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