
2026/06/01
わが国の建設業の死亡者数の推移をみると、ピークは昭和36年の2,652人。これと比べ、令和6年は232人と65年間で実に91.2%も減少しました(図1)。
これは現場関係者の皆様の努力の賜物に他なりません。たゆまぬ努力があり災害がここまで減ってきました。
この点を強調するには理由があります。なぜなら、未だ死傷災害が全く減らない産業があるからです。それは、小売業、飲食店、介護施設などの社会福祉施設です。これらの事業場をみると、その多くは働く人の“安全のあの字”もありません。働く人のための安全活動がなければ、減らしようがないのです。ただそこにも安全はあります。しかしそれはお客様のための安全です。例えば、スーパーマーケット。そこではカゴ車(ロールボックスパレット)と呼ばれる台車が使われています。工場などでも使われていますが、工場では動かし方の基本は押しです。押して使います。押して使えば、たとえカゴ車に転倒などの異常な動きが起こっても、押している作業者に危害が及ぶことが引くと比べ少ないからです。しかし驚くことにスーパーマーケットの売場では誰も押していません。なぜだと思いますか?それは、押すとお客さんにぶつかる危険が増えるからです。異常な動きがあったとしても作業者が被災しお客さんを守るのです。これが売場の基本なのです。これは一例ですが、小売業、飲食店、社会福祉施設の多くは、働く人のための安全がなく、これでは減らしようがないのです。
このような事業場をみると、建設業は、ここまでたゆまぬ努力を続けたことにより、大きく災害を減らしてきたことは高く評価されるべきものなのです。
建設業の死亡災害の推移に戻しますが、昭和30年代から昭和48年まで、毎年2,000人を超える死亡災害が発生していました。今では信じられない多さです。その当時の代表的な建造物の一つに東京タワーがあります。東京タワーの施工の様子はTV番組に収められています。それをみるとナレーターが語ります。「この東京港区芝の地に、全国から腕利きのとび職が集まり、高さ333mの鉄塔を、命綱なしで架けっていった・・・」と、今では高さ2mを超えれば墜落防護措置を講じるのは当たり前。しかしその当時は高さ333mでも命綱はなし。信じられないですよね。また、鉄骨と鉄骨をつなぐリベットは、熱した方が締まりがよいため、とびさんが現場でリベットを熱し、それを火箸で取り出し、向こう側にいるとびさんに投げ、向こう側のとびさんは、手に持った缶でそれをキャッチする。リベット1本1本それを繰り返していきました。また、東京タワーの鉄骨の色は赤色と白色ですが、それは工場塗装ではなく現場でハケを使って塗っていました。当時はあまりに信じられないやり方でした。
言葉悪く言えば、「そんなことやっているから死亡者数2,000人超えるんだ」と。しかし当時の人に罪は全くありません。なぜならその当時はそれしかやり方がなかったからです。
死亡者数の推移のグラフとみていくと、昭和47年、死亡者数2,402人だったものが、昭和51年には1,405人と、わずか4年間で約1,000人、42%も減少しています。この減少は、昭和47年に制定された労働安全衛生法が大きく貢献していると言われています。労働安全衛生法は、労働者を守るため企業経営者に定められた安全の厳しいルールです。企業経営者の責任の明確化、危険・有害な作業への対策が法で定められ、それを守らないと禁固刑、罰金刑(この2つは現拘禁刑)などの刑罰が科せられるものです。
法律というものは、制定されすぐに効果の出るものは多くはありません。しかしこの労働安全衛生法の制定は、死亡者数大幅減と大きな成果をもたらしました。
なぜここまで減少したのか。これは想像ですが、建設業界では、昭和30年代から40年代後半にかけ毎年2,000人を超える大勢の方が亡くなっており、業界関係者の多くは、この忌まわしい死亡災害をなんとか減らせないかという強い思いをもち続け、そんな中、昭和47年に労働安全衛生法が制定され、「よしこの法律を守れば!」と建設業界全体が死亡災害撲滅に動き出したのではないかと思います。
(著)東京都市大学客員教授/事故防止研究所代表
高木元也
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